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カテゴリ:つぶやき&たわごと
『松下電器の工場は、日本のほぼ全県にあった。なぜそんなにたくさんの場所にあるかといえば、発端は次のような出来事であった。
1966(昭和41)年、販売店の大会に出席するため松下は鳥取県の米子に赴いた。そのとき、たまたま泊まった旅館で朝御飯を食べていると、給仕をしてくれていた女中さんから「ぜひこの米子に、松下電器の工場を建ててください」と頼まれた。 ■女中さんの切実な思いに心を動かされた 働く場所が少ないため、最近若い人たちが都会へ出ていってしまう。人が減る一方で、それが非常に寂しいし、今後の発展も望めない。もしここにも工場があれば、働く場所があれば……。だから、ぜひ工場をつくってほしい、という話であった。 それを聞いた松下は、知事や市長から聞くのであればともかく、たまたま泊まった旅館の女中さんまでがそのような切実な思いをしているのだと知って、とても心が動かされた。 経済の高度成長に伴い、都市と地方のあいだで、人口の過疎過密の問題が顕在化しつつある時代であった。のちにほかの県でも同じ問題を訴えられた松下は、当時いちばん人口減少の激しかった鹿児島県をスタートとして、工場の地方進出を実行していった。米子の女中さんの訴えも、のちにマイクロモータの工場として実現した。 さて、結果的に松下電器は、各地域で評価を高め、経営的にもプラスになった。それを見て、「うまくやりましたね」と言う人たちがいた。良質の労働力が安く集まり、土地も安く、宣伝にもなったからである。 しかし、松下のもともとの発想は、米子の女中さんの話を聞いて、気の毒に、かわいそうに、自分が同じ立場であったらどんなに寂しいだろうと思った、その気持ちであった。たとえ自分が損をしても、人びとが喜び充実して生活ができるよう企業人として貢献したいと考えたのである。公の立場から見れば、アンバランスな状態が続いては、やがて日本全体の成長が止まってしまうと危惧したからでもあった。すなわち、自分のことより他人(ひと)のことを、自社のことより人びとのことを先に考えたことが、逆に成功を呼んだのであった。 ■自分のことだけを考えていては成功につながらない そもそも当時は、工場をつくるには立地条件のいいところを選んだほうが経済的であり、過疎地に工場を出せば原価が高くつき損だというのが常識であった。事実、地方へ進出するまえに、松下は「これからは企業の使命として、一時的に多少利益が少なくなっても、あえて過疎に悩む地方に工場をつくって、貢献していくべきだ」という趣旨の論文を発表している。 実際に責任のある仕事に携わってみればわかるが、自分一人が儲けたいという気持ちからは、うまくいくアイディアがそう出てくるものではない。昨今は、自分のことを先に考えたほうが得だという風潮があるが、それは人間というものの妙味を知らない、短絡的で間違った物の見方である。 自分のことより、他人のこと。そのように発想し、行動したほうが、結果的には高い評価と成功を得ることになる。なぜなら、それが人間としての考え方の順番だからである。言いかえれば、自然の理法に従った考え方の順番だから、成功につながるのである。 自分のことより他人のことを先に考えようとする人を、周囲が放っておくはずがない。自然と、望ましい結果に近づくであろうことは、松下の実例をいくつでもあげることができる。』東洋経済オンライン ワシなんかも、姓名鑑定と言っても金儲けにしておらんから、松下はんに習っとるのと同じじゃ^^ 金を取ると、感性が歪むのはどうしたわけじゃろうにゃ~>< まあ、お天道様が、金を取るなと言うから仕方がない^^; 道楽でするしか、他にしょうがない、、 こりゃ、何時まで経っても貧乏仙人じゃ>< きゃはっ!^^ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年12月31日 11時06分46秒
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