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2005年02月10日
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カテゴリ:お勉強
先週から始まった、Discovery School for Parents, 今日は2回目で、「励まし」についてでした。ダンナが「完璧に忘れてたよ」だったので、ちょっと遅くなってしまったのですが、ちょうどグループ分けする前で、どうやら大勢には影響はなかったみたいでよかった。

興味深かったのは、励まし(encouragement) と誉める(praise) とは違うということ。よく、誉める教育とか、いいところを誉めて伸ばす、とかいいますが、これはバツだそうです。代わりに励ます、ということが大事らしい。どう違うんだ?って思うのですが、聞いてみると納得できるんです。

まず誉めるということで私が思い出したのはエリアス・カネッティという作家です。彼はノーベル賞作家ですが、日本ではあまり知られてないかもしれませんね。この人の作品に、自伝的なものがあって、そのうちの「救われた舌」という作品で、子供の頃を語っています。

彼はユダヤ系なのですが、それによると、お母さんが典型的なジューイッシュ・マザーで、すごい教育ママ。小さいとき、カネッティは本を持ち出してはその表紙に書いてある文字を指して、「これは何?」と聞いたのだそうです。そこで母親がそれはMとか、それはSとか教えるうちに、字を読むようになった。「まあ、うちの子は天才だわ」と思ったお母さんは、彼に英才教育を施そうとします。そこまでは別にいいんです。彼も楽しかったから。

でも、問題はこの母親の誉め方。「これが読めるなんて、すごいわねえ。お母さんはうれしいわ」という感じだったらしいのです。エリアスは自分にあまり自信がなかったのか、そのころのユダヤ人家庭はお堅くて、あまりキスしたり抱きしめたりしなかったのか、とにかく自分が母親に無条件に愛されてるとは思ってなかったのだそうです。しかし、この母親は、「大好き」と言うときは必ずその理由をいい、それは「お悧巧さんだから」「よく出来たから」「すばらしい成績だったから」というものだったのです。これによって、幼いエリアスは、勉強が出来なくては母親に愛されない、と思い込みます。つまり、それは裏を返せば、そのままでは愛されていない、ということです。

だから、よく出来たとき、「すごいね、よくやったね、誇りに思うよ(日本語では言いませんが、英語では"I'm proud of you" というのは良く使います)」などというのは本当はよくない。これは子供が勝ち取らないといけないものなのです。賞賛に値するものを提示しなければならない。それはストレスとなり、繊細な子供や、自信のないこどもはこれに負けてしまうのです。
それよりも、本人が失敗した、と思っているときに、なんとかしていいところを見つけ、「でもね、考えようによっちゃ、これはなかなかいいよ」みたいなことを言うほうがいいのです。100点のテストを誉められた子供は、95点のテストをまるめてくずかごに捨てます。これを見せてしまったら、何か大切なものを失うと思うからです。それは親に甘えられない親子関係です。100点は小さいときには良く取れるけれど、大きくなるにつれて難しくなるから、家に持って帰るテストの数はだんだん少なくなり、秘密はだんだん増えていってしまうのです。この秘密は親子の間の溝になるでしょう。

でも、0点のテストを見て、「知らないことがたくさんあるね。これから習えることがたくさんで、わくわくするね」と言われた子供は、30点のテストを嬉しそうに見せます。その子は自分の成長過程を親に見守ってもらい、喜怒哀楽をともにしながら学んでいくので、親子間の溝はありません。

自分のことを思い返すと、あるある。テストができれば明らかに嬉しそうな親。自慢なのがわかりました。その自慢の娘の座をキープしなければならなかったプレッシャーも覚えています。私の場合、理科系に挫折した時点で、かなりその憑き物が落ちたみたいでラッキーでしたが、人によっては親の期待に押しつぶされてしまうこともあるでしょう。そのときに、一番つらいのは期待に応えられなかったら、親に見離される、という孤独感ではないでしょうか。この孤独が人を押しつぶすのではないのかな。だから、そのときに、「そのままで好き」「ドジなところがまたいい」などと言ってくれる恋人や友人がいないと、かなりつらくなりそう。

友達みたいな親子というのは、最近は否定的に言われることが多いけれど、親は親でありながら、距離的に近いという意味での「友達みたい」ならいいと思います。一方的に上から見るのではなく、同じ目線でものを見てくれて、等身大の自分を見てくれて、そのうえでつつんでくれる、という存在になれたらいいなあ、と思いました。

特にうちは一人っ子。親から切り離されたら、受け止めてくれる兄弟もいないし、親戚も国内にはほぼ皆無。せめて親からはほとんど無条件に愛されていること、または「…にもかかわらず」の愛があることを知っていてほしい。もちろん人間ですから、まったくの無条件の愛は不可能ですが、人間的に、手で触れるレベルで、愛されているんだ、ということに自信をもつことは大事だと思うのです。

ポール・サイモンの"Loves Me Like a Rock" はとても調子がよくて好きな歌ですが、この歌がまさにそういう歌。

子供の頃(青年の頃、etc.)、悪魔が僕を呼びつけた。
僕は言ってやった。誰をそそのかそうとしてるつもりか自分でわかってるのか?
僕は**で○○(その時期その時期の自慢できること)なんだぞ。
そして、ママは僕を愛してる。ママはひざをついて抱きしめてくれる。岩のように(しっかりと、不動の愛で)愛してくれている。

という内容の歌詞ですが、一番最後は「僕が大統領になったら」で、悪魔のかわりに、「議会が僕を呼びつける」っていうのがおかしい。そしてやはり「ママは僕を愛してる、岩のように、千歳の岩(キリストのこと)のように愛してる」と来るんです。
古いアルバムだけど、今日の話のあと、また聞きたくなってしまいました。(There goes rhyming Simon 日本のタイトルはたしか「ひとりごと」)
親の愛を信じられる子供時代をすごさせてもらえて、幸せだった。本当に感謝なことだな、と改めて思ったりして。





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Last updated  2005年02月15日 18時48分00秒
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