恋のような 愛のような

2006/12/24(日)00:43

週末の気分は出家な気分のままで

 電話が鳴っている。早朝に眠りについて、和室の畳の上に、目覚める。時計を見ると、午前10時だった。もう一度倒れこむ。まだ、電話は鳴っている。誰かが僕を呼んでいる。  眠られせてくれ、しばしこのままで眠らせてくれ。  僕に、その土曜日の午前10時に、もはや50回のコールで、たたき起こす、地球があと5分で、終わるとでもいうのか。  コールが終わった。静寂が戻るが、覚醒してしまった意識は、あらぬことを思考しはじめている。  あらぬこと?PENDINGのままのあのサブルーチン処理?穏やかなはずの、孤独な午後の時間のつぶしかた?  コーヒーを入れて、シャワーを浴びる。ああ、また週末が始まったことを許容できないでいる。がらんとしたキッチンに、ひとりコーヒーをすすって、洗い髪のまま、ベランダに出ると、もはや地球の朝は、頼みもしないのに、はじまっている。  つけたままの端末のDISPLAYに、50通のメールの着信がひらめいている。いったい僕に何の用があるというのか。  僕はそういった週末が嫌いだ。しあわせな人々の笑顔を、許容できない。ベランダの下を歩く人は、なにかしらそういったしあわせな足取りで歩いているのを、嫌悪をもって感じてしまうと、僕は、えもいわれない無常な気分に襲われるのだった。  そういう朝には赤いシャツを着て、サテンのズボンで、自転車にのって、仁和寺にでもでかけてしまったついでに、出家して帰らぬ人になりたくなってしまう。  奇妙な海外のメールを大部分削除して、君のメールを探すが、それはなく、おびただしい、だれだかわからない、クラブのおねえさんの求愛にあふれている。  「あいたいわ」  「どこで」  「わすれたの」  「わすれたわ」  「きみはだれ?」  「冗談でしょう、お食事にいきましょう」  「お食事?たぶんそんなことだと思ってた」  「どうしたの」  「出家しようかなとおもって」  「そのために京都にいるの?」  「もしかしたらそうかもしれない」  「わたしを愛してるんでしょう」  「それも執着なのかもしれない」  「シュウチャク?」  ああだめた。どうせ出家したって、深夜の祇園にこっそりと剃髪した光るあたまで、ふらふらとさすらうのかもしれない。いっそ山中の小寺にしないともともこもなくなる。  ぼくはチャットのようなメールをやめることにして最後の言葉を打った。  「さっき電話くれたの あなた?」  「わたしはあなたの電話しらないわ」  、電話番号をしらない女となんで食事しなければならないのだろう、とまださめない気分で、やはり週末なんてろくなもんじゃないと、DISPLAYの電源を落とした。

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