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めずらしくSMAP×SMAPなんぞをみてしまった。
沢田研二が出ると予告があったから。 「そっか またテレビ出始めたのか」と少しだけうれしくなって見たのだけれど。 太ったのは知っていた。彼自身太りやすい体質だと公言していたし。 テレビにあまり出ないようになってからも気に留めていたし。 でもなあ でもなんだ。 まるでコメントがはさめないっていうのはさすがにさみしかった。 一緒に出ていた藤山直美は確かに藤山寛美の娘だし、朝ドラ主役張ってたばかりの大物だ。 でもね、それでも芸歴がちがうはず。 それにあのジュリーだよ。楽曲のかっこよさやファッションはもちろん、 その本音の混じったようなコメントで場を沸かせていたあのジュリーだよ。 話すのはほとんど藤山直美ばかり。彼女は京都在住であると言っていたけれど 沢田研二だって京都出身でしょ。でも彼はそこにひっかけてコメントしようともしない。 一番最近彼をじっくり見たのは(もちろんテレビで) ドラマの『最悪』だった。 ご存知の方はご存知だと思うけれど、奥田英朗の傑作小説のドラマ化。 善良な零細工場(これは<こうじょう>じゃなくて<こうば>と読んで欲しい)を 経営していた人物が、銀行強盗になってしまうというストーリー。 このどうしようもないまさに「最悪」なシチュエーションに見舞われた主役を ものの見事に演じていた。いや正確に言うと、はまってしまっていたのだ。 その数年前彼は同じように犯罪者の役を演じていた。 『太陽を手に入れた男』 こちらは原爆の製造に成功した男が ローリングストーンズのコンサートを実施しろなどの要求を政府にするというもの。 これもはまっていた。けれど同じ犯罪者でもまったくちがうタイプの犯罪者だったのだけれど。 シングルが常連だったチャートに入らなくなったのは『背中まで45分』くらいからだろうか。あれも名曲だったのだけれどポップではなかった。 『そして君は途方に暮れる』でのちに大ヒットを飛ばす大沢誉志幸作曲の 『晴れのちBLUEBOY』もなんだかノリが空回りしていたような記憶がある。 『どん底』はちょっとだけ当たったのかな。 『AMAPOLA』はヒットしなかったけど、『ワンスアポンアタイムインアメリカ』の 日本版の予告編のバックで流れていたような。 『灰とダイヤモンド』あたりまではかろうじてチャートに名前は出ていたような。 その後シングルヒットはないと思う。 再婚のせいだとか、独立のせいだとか、いろいろ原因は考えられるだろう。 でも彼曰く「もう自分の好きな音楽をやりたい」ということだったのだから それはそれでいいのかもしれない。 事実「卑怯者」とかはシングルカットされなかったけれど名曲だった。 それに調べてみると舞台では活躍しているようだ。それならそれでいいのかもしれない。 もはや売れるということに関しては十二分に経験しつくした彼のことだから それはそれで幸せなのかもしれない。 それでも一抹のさみしさを感じてしまったのは確か。 考えてみればあの頃ティーンエイジャーだった自分が不惑とは名ばかりの40歳になってしまったのだから、ジュリーが丸っこくなってもそれは仕方のないことかもしれない。 それでもさみしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ジュリーと百恵ちゃんが大好きでした!
あの当時山口百恵ちゃんとジュリーは斬新な曲を歌っていました。 歌を演じるという意味で共通していたような気がします。 年月がたって昔を思って、さみしいと思う気持ちもわかります。 山口百恵ちゃんが21歳の絶頂期で引退して復帰することもなく一切ファンの前に姿を見せない事は今思えば幸せかもしれません。 テレビに流れる映像は永遠に美しいままの現役時代の映像のままですから!昨日の沢田研二さんを拝見してそう思いました。 でも今の沢田研二さんも若い時代とは違った魅力がありました。 今でも好きですよ! (2007年04月24日 19時18分10秒) |