2005/07/26(火)12:18
エネルギーと物質、そして時間。
今という時間を考えたときに、過去とは固定されたものである。
時間軸に固定されている存在は、過去を変えることはできないのである。
そして、物質としての人間は、過去を変えることはできない。
過去を変えようと思っても、存在の次元が違うから無理なのである。
未来とは変更可能であるが、エネルギーが加えられなければ、現在と変わらぬままである。
ただ、そこに存在するだけである。変化や動きといったものは無い。
物質に、エネルギーを加えるとどうなるか。
水に熱エネルギーを加えると、お湯になる。当たり前の話である。
人間という物質にエネルギーを加えると、どうなるか。
動き出すのである。
心臓が止まることなく動いているからこそ、物質としての人間は生きていられるのである。
動くとお腹がすく、だから食べてエネルギーを補給するのである。
当たり前の話である。
ところが、人間は物質だけでできているものではない。
「こころ」があるし、「たましい」を持っている。
「こころ」にエネルギーを与えるとどうなるか。
元気になる、やる気が出る、活発になる。活動的になるのである。
「たましい」にエネルギーを与えるとどうなるか。
真理を紡ぎだす。たましいとのパイプが太くなる。
たましいとの会話がやりやすくなる。
人間には、このように三つのエネルギーが必要である。そして、これらは密接に関連している。
物質としての人間が死んでしまえば、「こころ」はその存在意義をなくしてしまう。
死んでしまった人間に、いくら「こころ」のエネルギーを与えようとしたところで、物を動かすことはできない。
逆に、「こころ」にエネルギーを与えなければ、「こころの病」が起こってしまう。
いくら、体にエネルギーが入っていても、動けないのである。
弱ってしまった「こころ」では、たましいの言葉を聞けない。
いや、逆かな。
弱ってしまった「こころ」だからこそ、「たましい」の言葉を聞くことができるようになるのかもしれない。
元気な調子の良い「こころとからだ」では、「たましい」の存在に気がつかない。
弱ってしまった「こころ」だからこそ、その中にある「たましい」の存在に気がつくことができる。
「たましい」はその言葉を受け止めてくれる、「こころ」が必要である。
そして、「たましい」の言葉に導かれた「こころ」に従って「生きる」。
「澄みきった、たくましい、こころ」これこそ、私が探し求めているものかも知れない。
もう少し、自分の「こころ」の中をみてみようと思います。
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「お金に価値なし、お金を生み出す、高貴なたましいにこそ価値あり」
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「わたしは、澄みきった逞しいこころを持ち、たましいの言葉によって生きる」
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