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テーマ:ダイエット日記(22944)
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なんの予定もない一日、最近体重が増加傾向。昨日バレエのときのレオタード姿が心なしかいつもより太め…よし、プールかジムに行って運動しようと思っていたのに、パソコンに向かうとズルズルと時間がたっていきます。
明日の試験を作らないと出掛けるわけにいかないし、でも、なんだかやる気がない… そんなところにかかってきた一本の電話は、矯正下着なるものを売っている友だち。この人、セールスの腕はぴかイチ。年収はお連れ合いを上まると言うだけあって、勧めるのがうまいこと。 ひと月ほど前に誘われて、身体中のサイズを測ってもらい、危うく15万円分の下着を買わされそうになるところを、かわして帰ってきました。 今日の電話は、下着を買った共通の友だちが最近やせたという話。ウエストが6センチ減って、体重が2キロ減…はあ、すごいねといいながら何ともいえないいやな気分。 その後はとりとめもない話をしたのだけれど、どうもすっきりしないのでした。昨日の日記に続いて「ものを売る友だち」の話ばかりで恐縮ですが、私の交友関係の中では、この二人だけです…が、なかなか気が重いのでした。 15万出して試してみればいいのかも知れません。もしかしたら、やせるかも…でも、どうしてもやりたくないわけがあるのです。それは、西洋の女性のコルセットの歴史を調べればわかります。 女の人は男の人の気に入るように、美しく、細く、しかもオッパイを大きく見せるため、苦しくてもコルセットをしたのでした。小説の中でときどき「気を失う」女性がいるのは、実はコルセットで締めすぎていたからだともいわれています。か弱いのが女性としていいとされていたからです。 ジョルジュ・サンドは男装の麗人と言われていますが、その時代のほとんどの女性は相変わらず男の人の目線を意識して、か弱く細い体を作っていたのです… 女性の服装の歴史はそのまま、いかに地位の高い男性に気に入られるかで人生が決まってしまった女たちの悲しい歴史をあらわしているのです… 20世紀になって、やっと女の人は窮屈な下着から解放されました。それは同時に、女の人も人としての権利を持ち、男の人と同等の地位につくことができるということでした。いまでも、女の人は男の人の目線を意識して服装を決めるところがあります。 漠然としたものですが、それは女性を性的な対象としてみることを容認していることでもあるのです。たいていの女の人は美しくありたいという気持ちを持っています。それはどこまで自分のためなのだろうか…作られた「美しい女性」というモデルに自分をあわせようとしているのではないのか… そんなことをフッと思うのです。 だから、美しくなるため、男の人にとって都合のいい女になるためにやせるのは別にいいよ、と思うのです。それより、健康のためにやせたいから、運動してやせたいよ~下着をつけてやせるのだけはかんべんしてほしい… でもなあ、こんなことを言ったら、負け惜しみだと思われるんだろうなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.07.29 21:20:56
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