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カテゴリ:よもやま話
昨日の日記を書いて、とんでもないことを思い出しました。それは私自身が子どもの頃、父の職場に連れて行かれたこと。
つまり、父が子連れ出勤をしていたわけです。 私は一人っ子ですが、その理由は、私を生んでから母が結核にかかり、具合が悪かったからのようです。だから、幼児期は父親ッ子でした。 父も夫と同じく大学に勤めていましたので、大学に連れて行かれました。父の運転するスクーターの後ろにしがみついていたのですから、3,4歳にはなっていたのでしょう。 私の通う幼稚園も大学の近くだったので、父が迎えに来て大学に連れて行っていたのかも知れません。 母の具合が悪い記憶はないのですが、その頃、祖母の痴呆が進んでいたのも記憶のどこかにあるので、我が家は混乱の時期でもあったのでしょうか。 私は父について大学に行くのが大好きでした。 昭和三十年代ののどかな時代のことです。助手の女の人が遊んでくれたのをよく覚えています。 プレハブのぼろっちい建物でしたが、研究室は、なんだか、みんなが家族のようなあったかい雰囲気でした。父は実験をしていたので、日曜もでていくことがあって、そんな時、無人の大学も好きでした。 連れて行かれた子どもの記憶では、ワクワクの記憶ばかりで、ちっともつらいとか、面白くないというものがないのですから、子連れ出勤も時と場合によっては、子どもには楽しいものなのかも知れません。 そして、なんと、今年の4月に、私が父に連れられて行っていたその大学に、娘が入学しました。 入学式に、何十年ぶりかで大学を訪れました。 私が遊んでもらった広場には、大きな建物が建って、昔の面影はすっかり消えていましたが、なんだか、とてもなつかしい感じがしました。 父もとっくの昔に定年退職してしまい、いまや、80歳の頑固おじいになっていますが、私の子育てに奮闘した昔があったのか、とちょっと不思議な気持ちになります。 私を愛するあまり、私が泣いたり、落ち込んだりするのを嫌がる父でした。 子どもはいつも元気で楽しいものだと思っていたのでしょうか。 それとも、愛する娘が悲しい思いをするのがつらかったのでしょうか。 それは実はとても重荷でした。私が風邪を引くと母が叱られました。いま思っても理不尽な話です。 そんなわけで、思春期までは、つらいことや悲しいこと、できないことにめっぽう弱い人間に育ったのですが、そんなことは父は思いもよらなかったと思います。 いまやど~んと構えたおばさんになっていますが… おかげで自分の子どもが育つとき、苦しい経験も大事だと自分に言い聞かせました。 子どもがつらそうにしていると、私もつらいのですが、自分で立ち直ることで、つらい経験が宝物に変わります。 つらそうなとき、話をじっくり聞いたり、たまには抱きしめたり、おいしいものを食べにいったりはしますが、子どもがぶつかっている問題を私が解決することはしませんでしたし、もちろん、それはできない話でもあります。 子どもをじっと見守っていれば、自分で立ち直る力があると思っていました。 子どもの力を信じることができるのは、私自身がそうして、いじめから立ち直った経験があるからなのかも知れません。 大事なことは、世間体やお金やそんなものはかなぐり捨てても、子どものことを大事に思う気持ちが、子どもに伝わっているかどうかなのかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.09.22 23:58:02
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