彼ら3人は行動した訳ではないので云々というのが今夜の多事争論のお話でした。私の記憶によれば、先週木曜日あたりも同じ主旨のことを筑紫は言ったと思う。
利益とは何かと私はうまく説明するだけの知見がないのがお恥ずかしいですが、狭い意味で考えれば自分にとって経済的にプラスになることを目的として(あるいは、期待して)の行動ではないと筑紫が言いたいと解釈して、多分的はずれではないでしょうね。そうすると、フリーカメラマンの郡山氏って、これそのものじゃないんですか。イラクの惨状を伝えたいとか、イラクの現実を国民に知らしめることこそフォトジャーナリストの使命だとかいろいろ言いたいことはあるかもしれませんが、少なくとも自分の利益目的で行動していることを否定する理由がない(福田長官風に言えば)。
高遠女史、今井君の場合は経済的な利益を目的としたものではないかもしれない。もっと大きな目的での行動の結果かもしれない。仮に経済的なプラス面を期待しての行動ではないとしても、人が行動する、それもイラクまで金と時間を使って(彼と彼女には少なくとも時間は充分すぎるほどあるのだろうが)行こうというからには行動理由が必要だ。それは危険をかえりみずボランティア行動をする自分って何てスゴイ奴なのという達成感、感謝される快感、劣化ウラン弾キャンペ-ンを18歳でやっちゃう俺っていけてるよね! とかいう自分の心の利益までを広義に含めれば、結局自分の利益のために行動していると言えるのでないか。
長々と駄文を書いてしまったが、結論としては、自分の利益のための行動であるとかそうでないとか は今回の件について何の関係もないことではないかと私は思う。
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