|
カテゴリ:映画/エンタメ
昨日は、風呂上がりに、ちょっとテレビ付けたらSMAP×SMAPがテレビでやっていまして、ビストロSMAPにタモリ氏が登場。思わず見てしまいました。
というのも、私、タモリ氏は天才ではなかろうかと思った時期がありました。そう、確かに器用ですし、様々なジャンルに造詣が深いです。でも一方では、「いや、これは確信犯だろう。きっと、世間からそういう目で見られているから、プロとしてそういう自分を演じているのだろう」という健全な疑念も抱いていたのです。 しかし、昨日のOAで疑念は晴れて確信に到りました。それは、タモリ氏がコメントした変態論の深さ。いやぁ、素晴らしい。曰く、 ・「人間はみな変態」 ・「他の動物は、縛って(=倒錯的・耽美的な愛情のこと)喜んだりしない(私のコメントじゃないですからね)」 ・「変態とはイマジネーションの産物である」 ・「だからこそ、変態は想像力のある人間の特権であり、人間たる所以である」 ・「そして変態とは、他人に迷惑をかけない範囲で楽しむ世界で、人に迷惑をかけるヤツは変態とは呼べない」 と。 さらに、自身が得意な料理について ・「料理とは変態の最高峰である」 と。ま、要するに、ただ食べるだけでなく、見た目とか盛り方とかまで工夫するのは変態だ、と。欲求ダイレクトでないところが、つまり趣味的であり高踏的であり、高尚であり、つまり変態なのだと。澁澤龍彦の域まで行ったのかな、なんて思いましたけど。アンチ人間中心主義の時代に、あえて人間の人間たる所以を語るところに、ドライなセンスも垣間見えたり。 加えて、『笑っていいとも!』を長年続けて来て、秘訣はと中居氏に聞かれ、「ない」と。しかも、「合わない(=波長やウマが)ゲストには合わせない。合わないことを楽しんでいる。相手がしゃべらない人だったら、こっちもしゃべらないで、どっちが先に沈黙に耐えられなくなるかを楽しんでいる」と。これって、20世紀という時代を費やし、21世紀で頓挫した文化相対主義や共生の概念に欠如していたセンスなんですよね。合わない、は合わないままに。差異は、差異のままに。 とまぁ、深読みしながら見ていますと、なかなかに含蓄があって、流石はその道30年のベテランともなると、その不意の一言にも味がでるものなのかな、なんて感じました。(了) *文中のコメントは、そのままのものではありません。飽くまで記憶を辿っての記述です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[映画/エンタメ] カテゴリの最新記事
|
|