金沢マラソン2022-20221030
本日は晴時々曇、18℃/11℃、スタート時の天候は曇、12℃、無風と、昨年に続き絶好のマラソン日和でした。金沢マラソンは2015年の北陸新幹線の開業と同時に幕を開き、一昨年はコロナ禍で飛び、今年で7回目の大会となり、此処3回連続当選させて戴きました。昨晩も北陸の海の幸と共に、日本酒300m+赤ワイン1本+梅酒3杯を飲み、朝6時20分に起きた時点では昨年同様十分な二日酔い状態でした。それよりも昨夜食べ過ぎた北陸の海の幸、里の幸に因る体重過多の方が深刻で、恐らく起床時点では体重は普段+4Kg程あったのでは?昨年はサブ3を達成できましたが、今年はこの身体の重さでは困難と判断、息苦しさを感じない程度の約4分30秒/Kmで前半を走り、後半はペースアップし、特に33Kmからの9Kmは4分/Km位の「ラスト爆走」が出来れば良いかと思っており、これで行けば3時間02分台前半でゴールできる計算になります。昨年妻はマラソン当日早朝に帰ってしまいましたが、今年は夕刻まで金沢に居られるという事で、スタート会場手前1Kmまで送って貰いました。約6分走り、広坂口から会場に入場(7:37着)。入場門にて厳重な警戒の下、消毒と体温測定とランナー確認が行われます。中に入ってしまうと典型的なマラソン大会のスタート前の光景でした。彼方此方に仲間同士の和が出来ており、皆和気あいあいと楽しそうにマスク着用で喋り合っております。上着とジャージを脱いで走る格好になり、荷物預けトラックに預けました(7:45)。トイレに長蛇の列が出来ておりますが、妻実家にてトイレ大を済ませて来ましたので、トイレ小の列に並び、待つ事5分で済ませられました。半袖シャツ1枚で少し寒いですが、我慢できない気温ではありません。その後、接骨院で教わったストレッチを入念に行い、スタートまで30分以上ありましたが、スタートエリアへ行き、申告タイムに応じて分けられたDブロックに入りました。ブロック後方の未だランナーの居ない所で行ったり来たり走り続け、身体を温める事に努めました。見上げると雲の隙間から青空が広がり始め、これから更に雲の量が減って行きそうです。野口みずき、福士加代子、藤井由美子等、ゲストランナーが紹介され、スタート会場は最高潮に盛り上がりました。コロナ対策で2段階のウェーブスタートの早い方の8:35にスタート(遅い方は8:45)。スタート号砲から27秒後にスタートラインを踏めました。スタート後、お堀通りの坂を下ります。周囲には待ってましたとばかりにガンガン飛ばして坂を下るランナーも多々見受けられます。速度が出ないよう抑えて進む予定でしたが、だいぶ周囲のランナーに引っ張られてしまいました。左に金沢城、右に兼六園を見ながら走ります(実際、兼六園は見えませんが……)。学生の頃、毎日自転車で通学していた石川門の橋を潜り、兼六園下を左折、道なりにクランクして進み、橋場を左折。この区間は後程もう一度走ります。昨年は殆ど声援は聞こえて来ませんでしたが、今年は「頑張ってー!!」といった声援を次々と受け、励みになります。金沢駅前の一段と応援密度の高いエリアを対面通行で駅前にてアウト-イン-アウトと折り返し、武蔵ヶ辻から百万石通りに入り、金沢市の中心街を進みます。過去30年間、何百回と自動車、バス、自転車、徒歩で通っている道ですが、大通りのど真ん中を走らせて貰うのは大会の醍醐味で、新鮮な気分で街並みを眺められます。それにしても身体が重たく、スイスイと快走するイメージはありません。香林坊、片町の繁華街を通過し、5Km地点を21分19秒(4分16秒/Km)で通過。昨年より4秒速い。周囲に引っ張られて想定以上に速いペースですが、苦しい訳ではありませんので、このままで良いかと思います。今の所、未だ抜かれる事の方が多いです。犀川大橋を上り、野町広小路に向けて上り、左折すると給水所があり、スポーツドリンクを取り、喉を潤しました。スポドリだけで相当な長さを取っており、改めて参加人数の多い大会に参加している事を感じました。寺町五丁目を右折、ペースを維持しながら進みます。沿道の応援は途絶える事がありませんが、時折「頑張って~」と声援を頂き、それに対して手を振って応えます。左正面から秋の太陽の直射日光を浴びながら泉野、泉野出町、円光寺、山科と南下します。寒さの心配は無さそうですので、アームウォーマーを脱ぎ、手に持ちました。2回目の給水所が現れ、スポドリを補給。出発前に済ませたのに、便意をもよおして来ました。窪町を左折すると予定通り妻と義母が応援に来てくれました。交通規制があり、駐車し難い中、どうもありがとうございます。アームウォーマーを手渡し、身軽になって走りました。窪二丁目を左折、暫くは上りが続きます。今の所、未だ抜かれる事の方が多いようです。軽やかに抜いて行くランナーがいると、そのすぐ後ろを付いて行きたい気持ちに駆られますが、身体が重たく難しそうです。9Km~10Kmの区間は上り坂で時間を費やし、10Km地点を43分40秒(5Km以降4分28秒/Km)で通過。昨年より21秒遅い。上り坂基調でペースが落ちましたが、本来前半はこれ位が理想かと思います。11Km地点を過ぎ、山側環状線の最高地点62mを過ぎると、あとは下りと平地のみとなります。トンネルの中の下り坂で重たい身体は自然と加速し、直近で抜かれたランナーを抜き返し、平坦になった所で再び抜かれたりしておりました。普段は徒歩では通れない高架橋のまま犀川を渡り、再びトンネルを潜り、田上地区に入り、郊外型大型店の間を通過します。此の辺りでも未だ抜かれる事の方が多いです。15Km地点を1時間05分16秒(10Km以降4分19秒/Km)で通過。昨年より40秒遅い。いよいよトイレ大に行きたくなりましたので、16Km地点のトイレ目指して少しペースを上げました。第七ギョーザ前を通過し、若松橋詰を左折、仮設トイレに駆込みました。道中の仮設トイレはスタート地点とは異なり、今に至るまで殆どランナーの利用が無かった訳で、新品のトイレを利用できる一方、紙は未だロールの状態で掛けられており、継ぎ目が真っ平になっており、慌てて指を入れて剝がそうとしても3cm位の短冊状に切れてしまい、更に指を入れると更に3cmの短冊を作ってしまい、数枚分を犠牲にして自分に必要な分を調達し、短冊ビロビロの見掛け汚い状態で立ち去る事になってしまいました。折角の綺麗なトイレなのに申し訳ないですが、急いでいるランナーが真っ平の箇所からミシン目を探し当てて綺麗に剥がせるのか疑問です。剥がせても上下逆さになっている可能性もある訳ですし……約2分のロスで復活、少し体重も軽くなり、快適な走りを期待したいです。此処からは住宅街に入ります。旭町三丁目を右折し、太鼓の入った派手な踊りの声援を受けて元気を貰いました。この界隈も学生の頃友人が沢山住んでおり、馴染みのある場所です。兼六中学校前を左折し、この大会のコース最大の見所とも言える昔ながらの風情の残る住宅街に入ります。未だ1人、2人と抜かれたりもしますが、狭い道を力走します。沿道の民家の2階窓からも声援を頂け、しっかりと応えます。クランクが2回あるのですが、1回目では3m幅位まで狭まり、前や横のランナーと接触しないように神経を使います。学生時代の3年半勤めたバイト先の小将町のガソリンスタンド(GS)へ向かう道でもあり、非常に懐かしく感じます。賢坂辻を左折、ほんの数十m程の坂を上がり切り、平坦道に入り、そのGSがあった場所を通過し、兼六園下を通過、再び盛大な拍手の応援を受けました。スタート直後と同じ道に入り、再び裁判所前のクランクを通過、少しずつランナーを抜いて行きます。相変わらず身体は重たく、3年前や昨年のような大きなペースアップは出来ませんが、微々たるアップで進みます。橋場を今度は直進し、浅野川大橋を越え、応援密度の高い東山を過ぎ、20Km地点を1時間29分04秒(15Km以降4分46秒/Km)で通過。昨年より3分12秒遅い。トイレ大ロスの2分を差し引くと4分22秒/Km、未だペースに乗れていなかったようです。3年前はこの辺りで8番ラーメンが給食されておりましたが、昨年以降は百万石和菓子スポットとなり、しかもケースの中に入っているので中身が見えず、取るのが困難でしたので、通過しました。空腹感ゼロですので、何も食べたくはありませんので、最後まで飲料だけで十分ですが、32Km地点にある金沢カレーだけ食べようと思います。中間地点を1時間33分52秒で通過。昨年より3分21秒遅い。ペースアップは出来てはおりますが、後半ハーフを1時間30分で走れても先程計算した3時間02分台前半はとても無理そうです。城北大通りを北上します。昨年は呼吸乱す事無く、次々と前を走るランナーの背中がぐんぐん近付いて来て、快適な走りが出来ておりましたが、今年は重たい身体をバタバタと足音立てて前に運んでいる感じです。昨年は18Km以降、一切他のランナーに抜かれる事はありませんでしたが、今年はこの辺りでも時々抜かれる事があり、走り去って行くランナーの背中を見て羨ましく思ったりします。神谷内交差点を左折、JRの線路を潜る箇所にて少し加速し、再び北陸自動車道を潜る箇所にて加速して、纏まったランナーを追い抜きましたが、上り坂では他のランナーとペースが変わらず、抜き返されそうになります。この辺りは平坦で広々としている一方、景色が単調で、応援密度も少なくなり、時折北風が正面から吹き付け、士気が低下しそうになり掛けましたが、少しずつですが周囲のランナーを追い抜いて行く事で、モチベーションを維持できました。25Km地点を1時間50分34秒(20Km以降4分18秒/Km)で通過。昨年より4分29秒遅い。完全に昨年の自分に置いて行かれました。此の辺りまで来ると、完全に足を留めて、脚を揉んだり、ストレッチしたりしているランナーも時折見掛けます。福久西を左折、部分的に沿道応援密度の濃い木越地区に入り、時々盛大な声援を受け、士気が上がりました。この界隈は6年間金沢に住んでいても敢えて訪れる事のなかったエリアですので、地名や景色に馴染みがありませんでしたが、このマラソンのお陰で来る機会を頂けて、知らない金沢を一つ知る事が出来ました。木越西を左折、ペースダウンして来たランナー、歩いているランナー、立ち止まっているランナーが増えて来ました。ペースを維持しているランナーを抜いて行きたいですが、脚に力が入りません。28Km過ぎのベジスイーツエイドという言葉にも惹かれましたが、空腹感ゼロですので飲料も取らずに通過しました。松寺町東を右折、応援密度も少なくなり、平坦で広々とした単調な風景となります。29Km手前でスルスルと抜かれました。このランナーに付いて行かないと最早3時間02分台は絶望的になります。何とか喰らい付いて行きたいですが、少しずつその間隔が広がります。脚に力を入れるとその間隔は少し縮まりますが、そのペースは1分と持ちません。問屋団地東口を左折、浅野川沿いの道に入ると景色に少し変化が出て来ました。30Km地点を2時間12分14秒(25Km以降4分20秒/Km)で通過。昨年より5分29秒遅い。残り約12Kmをこのままのペースで行くと、3時間05分台となり、3年前のタイムより遅くなります。既に両脚大腿裏側が痛く、これ以上のペースアップは困難と思われます。この辺り、依然周囲のランナーを次々と追い抜き続けているものの、昨年の自分に完全に置いてきぼりにされ、情けないやら悔しいやらで、心の中で自分の走りの不甲斐無さに泣いておりました。そうこうしている内に城北市民運動公園の対面通行にやって来ました。片道300m程しかないですが、それでも前後のランナーと対面できます。アウト-イン-アウトと折り返し、7Km辺りで追い抜かれたスーパーマンに追い付きました。空気抵抗のあるマントを着て走り、本当にお疲れ様です。一言「ナイスラン!」と言って追い抜きました。32Kmエイドでは金沢カツカレーが出ており、此処では予定通り脚を止め、紙コップに2つのカツが入ったカレーライス食べました。美味い!!気が付いたら十人程のランナーに抜かれておりました。すぐに抜き返し、カチカチになって可動領域の狭まった脚に力を入れ、脳から強い指令を出し、意図的にペースを維持します。33Km手前でまたランナーに抜かれました。何とか喰らい付いて行きたいですが、少しずつ引き離されて行きます。その先に29Km手前で抜かれたスルスルランナーがおり、33Kmランナーが徐々に近付いて行き、そして追い抜きました。北安江町を左折し、金沢駅西口に近付いて来ました。大きなビル群の足下に入り、テンションが高まります。34Km地点、広岡(金沢駅西口)を右折し、駅西50m道路に入りました。この辺りでも一人のランナーに抜かれましたが、此方はかなり速いペースでしたので、とてもついては行けず、先の29Kmランナー、33Kmランナーを一瞬にして捉え、そのまま走り去って行きました。その先の給水所では、29Kmランナーがペースを落として水を取っている横を通過し、抜き返しました。35Km地点を2時間34分01秒(30Km以降4分21秒/Km)で通過。昨年より6分35秒遅い。ペースが上がりません。それどころか、魔の35Kmを過ぎ、無意識で走っているとどんどん失速してしまいますため、意図的にカチカチになった鉛のように重い脚に力を入れてピッチを上げて行かないと、現状のペース維持は困難です。両脚大腿裏側筋がぶち切れそうです!!36Km過ぎのエイドでは、本日初コーラを摂りました。暑さでバテている訳ではありませんので、それ程美味しく感じません。周囲のランナーを少しずつ追い越して行きます。時々現れる女子ランナーはトップクラスのため力強い走りをしており、失速して来た男子ランナーと比べて中々背中がすぐには近付きませんが、それでもしっかりと抜かせて貰いました。フルマラソンで残り6Kmであれば、いつもの自分ならラスト爆走中ですが、ペースが上げられず、悔しいです。この辺りでも沿道の応援に刺激を受けますが、もう応えられません。ラスト爆走していれば、1Km毎の標識がぐんぐん近付いて来る感じになれるのですが、1Km毎の標識は中々現れません。37Kmの県庁北口を左折、その先の金沢西高から約500mは対面通行となりますが、知り合いがいないのであまり楽しくありません。沿道の子ども達の励ましの声にも押されて、何とかペースを維持します。38.5Km辺りでしょうか、また一人軽々と走るランナーに抜かれましたが、今度こそは付いて行こうと、最早使い切った両脚に力を入れ、両腕を大きく振ってペースを上げ、そのランナーの後方3mに付きました。ラストスパートを強く意識されているようで、ペースを全く落としません。此方は足音バタバタ、呼吸は過呼吸状態でゼエゼエハアハア、煩く走っているので、そのペースランナーに聞こえている筈ですので、早く引き離したいと思われているでしょう。藤江橋を右折、2人で周囲のランナーを次々と牛蒡抜きして行きます。33Km手前で抜かれたランナーを抜き返しました。息は苦しく、両脚が千切れそうです!!松村三丁目を右折し、40Km地点を2時間55分35秒(35Km以降4分19秒/Km)で通過。昨年より7分24秒遅い。直近の39Km~40Kmのペースが4分07秒ですので、このペースを維持できれば3時間04分台でゴールできそうです。そのためには前のランナーの背中にしっかりと喰らい付いて行く必要がありますが、その差が10m以上に広がってしまいました。松村七丁目を左折、沿道からの声援には最早応答できません。本日も長時間に渡り、行く先々で拍手や「頑張って下さい!!」の声援を掛けてくれた給水所スタッフや誘導員、そしてこんなに沢山の人が金沢に住んでいたのかと改めて驚きました沿道の方々の声援には本当に励まされました。心からお礼を申し上げたいです。41Km手前でしょうか? 後方から明らかにペースの違う足音が近付いて来て、一気に抜かれました。女子ランナーでした。陸連登録でもない一般ランナーでしたが、沿道の声援にも手を振って応えられております。私を引っ張ってくれているペースランナーをも一気に追い抜きましたが、今度はそのペースランナーが女子ランナーに喰らい付いて行き、あっという間に二人の背中が遠退きました。示野橋詰を右折、残り800m、橋の下り坂を利用して更に脚に力を注入します。脚が千切れたら手で這って行かねばならないけど、此処からなら何とか這って行けそうです。競技場を左に見ながら最後の公道を走り続けます。残り400mの所で気絶して仰向けになってスタッフの介護を受けているランナーがおりました。気絶して顔が土色になっております。ランナーによっては今日は暑いとも感じられる気候、もう一歩なのに嘸かし無念に思われている事でしょう。左折して石川県西部緑地公園に入り、更に左折して競技場手前最後の直線を全くラストスパート出来ないまま走り抜け、最後の100mを息絶え絶えに走り切り、ゴール!! 3時間04分31秒!! そして40Km以降は8分56秒で駆け抜け、辛うじて4分04秒/Kmと最速ペースとなりました。10秒以上は早くゴールしたと思われる38.5Kmペースランナーと握手を交わし、お互いの健闘を称え合い、大会公式カメラで記念撮影をして貰いました。「39Km手前から良いペースでしっかりと引っ張ってくれてありがとうございました」「此方も必死でした」「最後の1Kmは付いて行けませんでした」総合順位は全出走者13,083名(出走者9,409名)中715位(上位5.5%)、部門別(男子50歳代)では出走者2,746名中110位(上位4.0%)。今回の5Km毎の順位は、スタート1,182位→868位→1,012位→1,032位→1,162位→(21.0975Km1,156位)→1,096位→1,004位→901位→770位→ゴール715位と、辛うじて尻上がりに相対的順位を上げる事が出来ました。また、前半ハーフは1時間33分52秒秒に対し、後半ハーフは1時間30分39秒で走り切りましたが、昨年のように4分以上、3年前のように8分以上も後半で縮める事は出来ませんでした。完走タオル、完走メダル、完走賞としてとり野菜味噌、金沢カレー、バナナ、スポドリを頂き、荷物を受け取り、更衣室は通過、昨年同様味噌汁のサービスは無く、応援家族と共に楽しめる屋台フードコートも無く、暖かい日差しが注ぐ中、11時50分には会場を後にして、3Km弱離れた親戚宅までゼッケンを着けたそのままの格好で完走メダルを掲げたまま歩いて向かいました。親戚宅にてシャワーを借り、着替えを済ませた後は、妻、義伯父、義従兄が私の完走を祝って宴会をして下さり、畑で収穫された大量の野菜料理をビールと共に美味しく頂きました。15時過ぎに妻実家に帰着後、義母が妻を金沢駅まで送りに行き、その間私は昼寝しようとしましたが、1時間程横になったものの眠れませんでした。それどころか、右脚の脹脛がパカッと外れ、痛い思いをしました。18時前に入浴後、先程の親戚宅での頂き物&昨夜の残り物を出して下さり、赤ワインと共に美味しく頂きました。20時20分に妻実家をお暇し、路線バスで金沢駅に出て、夜行バスを待っていると、金沢マラソンを走られた二人のランナーが会話されておりました。男性「今日はタイムはどうでしたか?」女性「初めて4時間切り出来て、3時間○○分で走れました」男性「凄いですね~!!」女性「いかがでしたか?」男性「私はタイムは全然遅いです。4時間台後半でした。大会にはよく出られているのですか?」女性「2週間後ですが、日光の方で初めてウルトラマラソンに挑戦します」私(話が面白くなって来た。加わりたいなぁ)男性「凄いですね!! 流石に私はフル以上の距離はとても無理です」私(それが一般的な反応なんだよなぁ)男性「でも私の知り合いでウルトラを超える距離を走る大会に出ている女性がいて、(フルネームで)OSさんという方なんですが……」私(!!)川の道でご一緒させて戴いておりますOSさん(2018年、19年女子優勝者)の名前が出て来てビックリ!!男性「毎年、東京から新潟まで走る大会に出場されているんですよ」女性「東京から新潟!? いったい何Kmあるんですか~?」男性「3百何十Kmはある筈です」女性「300Km超えですか!? 凄いですね~」私(513Kmなんですが…… あと、OSさん私も知合いです。話に加わりたい)その二人の3m横まで近付くと、正面に赤いジャムジャムライナーのバスがやって来ました。話には加われないまま、22:00発の夜行バスで東京へ向かいました。