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カテゴリ:時事
面白い記事を見つけました。
事前に首相挨拶の内容まで中国側にお伺いをたてるなんて、たぶん某省の中の人は当たり前のように思ってそうなので、これ読んでちょっと安部さんを見直しました。 小泉さんは全体として好きではかったけれど、これまで見えないところで特にぐずぐずの腰砕け外交をやってきた中で、とりあえず筋を通し切ったという点については高く評価できると思います。 基本的に私は、自分が右だとか左だとか言えるほど政治方面は知識も興味もありませんが、対中外交関係はこれまでだいぶ妙なことをやっていそうな気がしてます。 ひどく微小な話ではあるのですが、間違いFAXを受け取ってその一端を覗き見る機会があり、のけぞったことがありました。 JICAが独法化した頃、ODA予算が大幅に削減され、対外協力の方針も転換されたため、各省がJICA予算で実施していた各種事業もかつてない大規模な見直しを余儀なくされたのですが、そんな頃の話です。 間違いFAXの中身は、この問題の某省直轄の中国政府対象の研修事業スケジュールの連絡で、その半月程度の実務者レベルの短期研修の中身が京都の寺社巡りにディズニーランドといった接待まがいの内容が満載というかなりバランスの悪いものでした。公式の研修スケジュール上に書かれている項目である以上、当然ながらこれらの費用負担は日本政府が丸抱えしてたはずです。 当時、たまたま私は仕事上、あちこちでもっとずっとまともな内容で削減された事業をいくつも見ていたので、この研修スケジュールを見たときは怒るよりも脱力しました。詫びる気持ちが大切であるということには同意しますが、表し方に相当問題があるのでは。 ------------------- <産経新聞> http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/23108/ 【検証・日中首脳会談】「予定調和外交」から脱皮 □想定問答無視、聞き役に回らず 文書破棄も覚悟、譲歩引き出す 首相として5年ぶりの訪中を果たした安倍晋三首相。日本との関係修復を急ぐ中国は国賓級で首相を迎え入れ、8日の北京は歓迎ムード一色に染まったが、水面下ではギリギリの駆け引きが続いていた。北朝鮮問題などをめぐり、東アジア各国が外交戦略の転換を迫られる中、外務省が主導してきた「予定調和」の日本外交が終焉(しゅうえん)したことは間違いない。(石橋文登) ▼幻のあいさつ 8日夕、温家宝首相主催の晩餐(ばんさん)会の直前。胡錦濤国家主席らとの一連の会談を終え、人民大会堂内の一室でひと息ついていた首相の表情がサッと険しくなった。 外務省高官が「中国側の意向」として、あいさつの修正を求めてきたのだ。 「なぜ私のあいさつの内容を中国側が知っているんだ?」。首相の問いに高官は押し黙った。「こちらは温首相のあいさつを把握しているのか?」。答えはなかった。相手の機嫌を損なわないことを最重視してきた外務省の「外交術」がかいま見えた瞬間だった。 「それではあいさつはできないな…」。首相の一言に高官らは狼狽(ろうばい)したが、首相は頑として譲らず、あいさつはキャンセルとなった。この夜、安倍、温両首相らが和やかに談笑する晩餐会の様子が世界に報じられたが、両国高官にとっては居心地の悪い席だったようだ。 ▼会談の心得 首相の訪中を2日後に控えた6日、麻生太郎外相は衆院予算委員会の最中、首相にそっと手書きのメモを差し入れた。「首脳会談の心得」。要点は(1)両手で握手をしない(2)お辞儀をしない(3)政府専用機のタラップは夫人と並んで降りる-の3つ。首相はニヤリと笑って軽く会釈し、メモを胸ポケットにしまった。 首相と麻生氏がもっとも懸念したのは、歴代政権のように「日中友好」の甘言につられ、中国側に「朝貢外交」を演出されることだった。首相は握手の際、笑顔を見せたものの、視線は相手から一瞬も離さなかった。 さらに首相は一計を案じた。相手より長く話すこと。中国は古来官僚国家であり、文書をもっとも重視する。聞き役に回れば、書面上は「負け」ということになるからだ。 温首相は会談の冒頭から漢詩などを引用し、とうとうと話し始めた。首相はそれ以上に長い時間をかけて話を続け、特に歴史認識や靖国神社参拝に対する中国側の婉曲(えんきょく)な批判への反論にはたっぷりと時間をかけた。 外務省が作った想定問答はほとんど無視され、会談時間は予定の1時間から30分もオーバーした。中国側が「日本人は聞き役で、うなずくだけだ」と考えて会談に臨んだならば、大きな計算ミスだったといえる。 首相は最後に、練りに練った「殺し文句」を放った。「過去の歴史の問題では、わが国60年の平和国家としての歩みに正当な評価を求めたい」。温首相から「評価している」、胡主席から「信じている」という言質を引き出したことは大きな成果だろう。 ▼共同プレス発表 「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」 首相は訪中前、周囲にこうつぶやいた。訪中を指すのかどうかは分からないが、首相にとって、訪中は今後の政権運営をにらんだ大きな賭けだった。 それだけに首相は慎重姿勢を貫いた。中国側による招請は先月30日だったが、首相が決断したのは3日。しかし、正式発表の土壇場でもギリギリの攻防があった。 中国側が急遽(きゅうきょ)、正式発表の際に「政治的障害を除去し」という言葉を使うよう求めてきたのだ。首相は会談延期をにおわせて拒否し、最後は中国側が「除去」を「克服」に変えることで折れた。発表が4日午後にもつれ込んだのはこのためだ。 会談の文書化をめぐっても暗闘が続いた。中国側は文書に固執したが、首相は難色を示した。平成10年の小渕恵三首相と江沢民国家主席による「共同宣言」では、過去の責任と反省を示す「村山談話」が盛り込まれ、その後の対日批判に利用されたからだ。 中国側は訪中前日になって大幅に譲歩してきた。「歴史を鑑に」という常套(じょうとう)句は「双方は歴史を直視し」に変わった。日本側が主張する「未来志向」「東シナ海問題の協議」「北朝鮮への憂慮」も加えられた。 それでも首相は慎重だった。外務省側は会談前に「共同プレス発表」を交わすことを公表する考えだったが、中国へ向かう政府専用機内でその意向を聞かされた首相は「会談が終わるまでは絶対にダメだ」と譲らなかった。会談次第では、文書の破棄も念頭においていたようだ。 結果として、首脳会談は日中両国とも成果を強調できる形で終わった。だが、もしギリギリの攻防を回避していたら日本側に果実はあっただろうか。 会談後、中国の武大偉外務次官は日本の高官にこうささやいた。 「安倍首相が手ごわい相手だということは前々から分かっていましたよ」 ------------------- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.10.13 22:05:16
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