植物の思想
思想という意味を、思念とか言葉と捉えると、上の表題は意味を成さなくなってしまいますが、例えば生きることへの振るまいというようなものにまで、思想や論理の概念を拡げれば、植物にも明らかに思想や論理がありそうです。ただし、それらの思想や論理は動物界の人間とはかけ離れていて、通常人間は植物の言いぶんに耳を傾けることはなく、動物界の都合で、踏みつぶしたり、刈り取ったり、食べたりして、知らんぷりを決めています。動物界は文字通り「動く」という属性で、やたらと忙しいのです。 それでも、この動物界の周囲を取り囲んでいる植物界というのは、動物にとってたんに生存のための道具立てではなくて、はるかに動物界の論理を凌駕した思想を発しているのかも知れず、数万年前の種子が発芽したり、数千年にわたって同じ場所に生息している樹木などをみると、人間といえども一種の生物的な畏れを感じるのかもしれません。 ところで、数千年前から人間界に登場したゲームに、ご存知「囲碁」や「将棋」がありますが、「将棋」がさまざまの種類の持ち駒を駆使して、戦術的なシュミレーションゲームをするのに対し、「囲碁」の特色は一つ一つの石に区別がないうえに、一度碁盤に置いた石は絶対動かせないことで、より戦略的なシミュレーションゲームの印象が強い。 「将棋」がさまざまなアイテムを具備した王様=自分が、持てる小道具で敵の玉をやっつけようとするのに対し、「囲碁」はプレーヤーに仮託できる小道具(玉に当たるもの)は、盤面には存在せず、あるのは白黒の石のカタチだけです。それでも局がすすむにつれて、あきらかに優勢か劣勢か、あるいはどこに根拠があるのか、明瞭にカタチが姿を現してくるので、それぞれのプレーヤーの思想や戦略が盤面でぶつかりあって、一つの宇宙を築いていきます。 以前にも触れましたが、「囲碁」というのは対局ごとに、それぞれの小宇宙を形作っているので、白と黒の銀河団が衝突したり、妥協したりして、消滅や生成を繰り返します。 私には「囲碁」というゲームを考えついた人(中国の占星術から生まれたといわれますが、もちろん一人の人物の考案ではなく、おそらく数千年かかって、さまざまの人々の工夫の結果生まれたものでしょう)というのは、何か植物の生態を相当丹念に観察したんじゃないかと思うのです。 植物の思想(生き方の振るまい)には、明らかに顔や司令塔に該するものがなくて、葉や茎や根というのは、生存のための道具立て、動物で言えば内臓器官にあたるもので、私たちは毎日植物の内臓を眺めているようなものです(その意味で、花のつぼみが女性器に仮託されるのは、大いに理由があるのです)。ところがこの植物には動物でいうところの主体がない、どこを切ったり踏んだりしても、単体としての主体というものには到ることができないのです。 ところが、群体としての植物というのは、動物からみて、明らかに生存行動としての振るまいを感じてしまうので、それを意志ととらえるかどうかは別として、やはり一種の思想としか言いようのないものでしょう。昔、セイタカアワダチソウ(アキノキリンソウ)が在来のススキなどを駆逐するなどといって、おおいに騒がれた時期があったのですが、人間界の騒ぎとは関係なく、あれほどたけだけしくはえ広がっていたセイタカアワダチソウが、今ではおとなしくススキと共生しています。 古代人はこのあたりに、動物界の騒がしい生存競争とは異なった秩序感を見出したので、結果的に片方の植物が駆逐されることがあっても、それは動物界の食うか食われるか(勝った負けた)の論理とは明らかに異なる振るまい(思想)を感じたでしょう。それはより無機物(岩石や液体)の変化に近いもので、そこでは変化の結果が秩序か無秩序かという判定も無意味にみえる、動物界の勝った負けたの秩序の論理では、解決し得ない論理(思想)を認めざるを得ないように、植物は黙したまま厳然と、私たちの周囲にすっと以前から、生きて在るのです。 「囲碁」では先にも言いましたが、どこにも主体は存在せず、盤面の任意の地点から自分の宇宙を形作ることができます。さらには一つの宇宙を放棄して、別のところに新たに根拠を求めることもできるので、死んでいたはずの石がいつのまにやら生き返ったり、生きていたはずのが死んでいたりというのは、しょっちゅうおこるのです(というより生きているのか、死んでいるのかハッキリしないことのほうが多い)。さらにはそれらの論理を貫徹するのに、一度置いた石は絶対動かせないという原則も、なにやら植物由来の思想を反映しているような気がしてしかたがないのですが。 そういう意味では、最近の囲碁世界選手権に見られるような、勝負にこだわるあまりの、しどけなく激しい囲碁の打ち回しというのは、「囲碁」本来の持つ宇宙的静謐といったものからは、ほど遠く感じられてしかたがないのは私だけでしょうか?何だか40年ほど前の、たけだけしいセイタカアワダチソウの繁殖行動にも似ているように見えるのですが。