カテゴリ:日々想う
今までに また最近お会いした 素敵な癒しの人たち またカウンセラー等、自立されたその道のプロの方々。。 ふと たまに思うことですが、 ある地点で 自分で氣づけなかったり 進まない人は ある意味切ります。 切ります というと御幣があり言葉が悪いので・・ そっとして置きます。。(クライアントに接する場合はいろいろと想定ありますから この話しからは除きます) 若しくは、それなりに 氣にせず そのようにお付き合いいたします。 人への期待や変化は、個人のエゴである。。ということでしょう。 自然に無理な事は お互いにせず・・です。 その反面、社会的信用のある第一線でご活躍中の先生が言われました。 「人はぬるま湯に使っていたら、氣づきもなく今の状況すら見えない!あえて、きびしい状況・環境を突きつけたり、言ってあげるのが相手のために成る。」 と。。 もちろん状況により いろいろな考えや行動があると思いますが いろいろな方のお話や本から・・ 私なりに総合的な解釈をすれば どうやら基本的な定番は 『その人自身で得た氣づきでなければ、真の変化や成長には結びつかない!』 だから、導き手にも限界があり、そっと時を待ちます。。(いわゆるタイミングではない。とか必要な時期ではない。とか・・) 逆も真なりで いろいろな方が いろいろな個性をもって取り組まれています^^ わたしは このことについて 何も意見はなく <全ては成るように成っている> としか考えませんが、 自分も他人も、各々 こういったきびしい局面では 本氣でなければ 何も生まれないのだろう とは思っています! そして その きびしさが環境で出た時(悩みとか体の不調等)こそ 人は本氣に成れるチャンスなのでしょう! また、それ以外に 自分の成長を求める一部の人は 本氣に成ります^^ いずれにしても 根性論だけで 話しは終わらせたくないのです きびしさの面に本氣が その反面には「愛」があるのだとおもいます☆ 一つの球のように・・ だから愛に触れて本氣にもなれるし。。 ひとが変化する成長する ときは 本氣の自分が 愛ある気持ちを出したり受けたり している時なのではないでしょうか^^ いろいろ 想いが湧いてくる夜です 本日もありがとうございます ● ありがとうございます! よろしかったら1クリックを^^ 全国から注目されているサイトが大集合!美容・健康・ダイエット人気急上昇ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.15 21:15:55
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