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カテゴリ:伊達政宗
先週、急に思い立ち青根温泉不忘閣へ一泊してきました。心のお洗濯?!
青根温泉は伊達家の御殿湯で、不忘閣には伊達政宗公も入浴したであろう石づくりの浴槽がそのまま残っていて一般人も利用できる貴重な温泉です。 伊達家の殿さま気分でご入浴が楽しめますの。 平日でしたから、一人貸し切り状態で御殿風呂満喫しました。 ありがたき幸せ!!! 青根に向かう前に村田町をゆっくり散策したいと思い出かけたところ、伊達宗高公の秘話を見つけていたく感動。 次の日は蔵王のお釜を見に行こうと決めていたのですが、そこにも宗高公の足跡があり、思いがけず宗高公を偲ぶ旅になってしまいました。 伊達宗高公は伊達政宗公の七男で仙台で生まれました。お母さんは側室お山の方。 角田市の石川家に嫁いだ牟宇姫は同じお母さんから生まれた一つ違いの妹。 宗高公は慶長18年(1613)に7歳で村田城主となり、柴田刈田両郡で三万石を領しました。 「元和9年(1623年)冬に蔵王の刈田岳が噴火し、翌年になっても止まず、郷土に大きな被害が出ました。そこで政宗公の命を受けた宗高公は、中国人の王翼とともに刈田岳の山頂に登り、天に命願し噴火を鎮めました。この崇高な行いは領民の心を打ち、敬慕されるようになりました。 寛永3年(1626)、従五位下・右衛門大尉の官位を授けられるため、政宗公とともに京都へ上った宗高公は、当時流行っていた天然痘にかかり、二十歳の若さでなくなりました。 その後、主君を追って十名の家臣が殉死しました。」 ・・・・・ 村田町教育委員会 ![]() 宗高公の遺骸は村田町の龍島院に葬られ、公のお墓を今も守るかのように殉死者10人のお墓が左右に並んでいます。 殉死者の中には17歳の小姓、油井五郎助や乳母の御阿知也(55歳)もいました。 ![]() ![]() 龍島院のパンフによれば、宗高公は「自分の生命はなくとも噴火がおさまり、人々の危難を救い給え」と噴火鎮静を祈願したとといいます。この命願がかない噴煙雷同がぴたりとおさまり、領民から「生神さま」と仰がれ長く敬慕されたとのことです。 宗高公の遺徳を後世に伝えようと、蔵王の刈田峯神社の近くには伊達宗高公顕揚会の方たちが建てた碑があります。 ![]() わずか18歳の若き城主が領民のために命がけでこの険しい山に登ってきたのかと思うと胸がいっぱいになります。 今は快適な道路ができて簡単に車で頂上まで行けるけれど、当時はまだ噴煙もひどかったでしょうし、立派な登山靴もなかったでしょう。 どれだけ大変な行程だったことか・・・ ![]() 私が行った24日は花まるいっぱいあげたいほどのいいお天気。 きれいなエメラルドグリーンのお釜をながめつつ、宗高公の偉業を思い、私も前むいて進もうっと。心のお洗濯大成功でした。 新緑がとってもきれいなこの季節、ぜひ村田、蔵王、青根を訪ねてみてくださいね。 宗高公の命日、8月17日には毎年村田で宗高公まつりが行われています。 今も人々に愛されるお殿さまのお話でした。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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