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江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

銭湯のしきたり

銭湯のしきたり


風呂屋.JPG

=江戸東京たてもの園<小金井>にある昭和初期の風呂屋=


 東京には平成12年4月の時点で1300軒の公衆浴場が営業していたそうです。現在はこれより少なくなっているかも知れません。松・竹・梅・鶴・亀・寿・宝などおめでたい字を使った屋号が多いようですね。屋号のベスト10は(平成15年6月現在)は上位から順に,松の湯,栄湯,大黒湯,亀の湯,寿湯,竹の湯,梅の湯,日の出湯,鶴の湯,宝湯,これは東京都内での話です。

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 江戸時代の銭湯は,湯屋と言っていましたが「男女入込み湯」,つまり混浴だったのですね。男は湯褌(ゆふんどし),女は湯巻をして入りました。江戸中期,裸で風呂に入ることが普通になりました。混浴の風習が完全に禁止されたのは明治になってから。男女の浴槽は分離され,12歳以上の混浴はできなくなりました。現在はこの法律が踏襲されています。残念ですね。

 風呂敷は文字通り風呂で敷いて使うもの。入浴に必要な手拭いなどを包んだり,湯屋で敷いて衣類などを置いたり,といった使い方をしました。浴衣(ゆかた)は,風呂からあがったらそれを着て,水分を拭き取る物。浴衣を着てお散歩なんてあり得ません。

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 湯船はずっと向こうの壁側にありました。洗い場はだから,湯船のこちら側。これが江戸流です。ところが京大阪では湯船は中央にデーンとあって,その周りが洗い場です。現在,江戸風のタイル張り銭湯では壁に富士山のモザイク絵があったりしますよね。

 ところが,江戸の湯屋はとても暗かったそうです。明かりとりから入る光のみで,中は湯気でもうもうとしていました。だから混浴でもたいした問題にはならなかったのでしょうね。湯船の手前には天井から下がる壁が立ちはだかっていて,その下(「ざくろ口」と呼ばれました)をくぐって湯船に入ります。この壁は湯船から出る湯気を逃がさず,中の温度を保つのに役立ちましたが,そのために湯船はさらに暗くなりました。暗いのをいいことに,ちょっとしたいたずらをした悪童はいたかもしれませんがね。

 湯船に入るときは「冷えモンです」と言ってから入ります。いい加減の湯に浸っている人に迷惑をかけるわけですから,ちょっとした配慮が必要になるというわけ。一般的に江戸の風呂は熱かったそうですが,水でうめるときも入っている人から了解を得ないといけません。自分勝手なことをするとひどく叱られます。当時の風呂は一種の蒸し風呂,湯の量は少なく,下半身だけが湯に浸かり,上半身はサウナ状態。

 長屋に風呂をつくることはできませんでした。江戸では火事が多かったために,個人個人で風呂を持つことを禁じたのでしょうね。これと関係ありますが,湯屋は朝からわかして,タ方七つ(午後4時)の合図で終わります。江戸人は一日に何度も風呂に入りました。だから皮膚の脂分がとれていつもかさかさ。垢はなくて綺麗なのでしょうが,これが「あか抜けした」ということ。現代の意味とはちょっとちがいますね。

 湯屋の二階はいわばサロンとしての役割を果たしました。お客は茶を飲んだり,菓子を食べたり,囲碁や将棋などをして楽しみました。湯屋へ行けば顔なじみがたくさんいるのですから,暇つぶしにはもってこいの場所でした。やがて湯女(ゆな)が登場,湯茶のサービスをするようになり,商家の旦那衆や若者たちの間で大評判に。七つを過ぎてからも湯女が別の意味で活躍したので,幕府は風紀上の理由で湯女風呂に対して禁止令を出しますが,効き目はありませんでした。

      


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