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江戸東京ぶらり旅

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江戸の三大火事

目黒の行人坂<江戸三大火事の火元のある寺>

江戸を騒がせた珍談、奇談、大災害   お七火事の謎を解く   江戸の火事


 JR目黒駅西口を出て交差点を渡りましょう。交差点向かい側,一番左側の細い坂道が「行人坂」です。この坂の名の由来は江戸時代,このあたりに湯殿山(出羽三山の一つ)行人派のお寺があって,修験行者(注:簡単に言うと,救いを求めて仏道の修行をしている人たちですね)が往来したことからつけられたということです。まあ,坂の下,太鼓橋を渡ってちょっと行くと,五百羅漢寺,そして目黒不動尊ですから,昔から参詣者でにぎわった坂なのですね。

 この坂,下りきると目黒川の手前,左手に目黒雅叙園があります。結婚式場として有名ですが,百段階段に接する6部屋は登録有形文化財(保存建築)に認定されています。普段は見られないのですが,年に数度,予約で豪華絢爛な天井絵など見学することができますよ。食事つきなのでちょっと贅沢ですが,一見の価値ありです。

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 雅叙園よりも手前,坂の途中にあるのが「大円寺」。通行人の多くは気に留めずに通り過ぎるのですが,このお寺は江戸の初期,上で述べた湯殿山の行人,大海法印が建てた大日如来堂に始まると伝えられています。それでこのお寺,何で有名かと言うと・・・

 1772年2月29日正午頃,このお寺から出火,春先の強風で次々と延焼し千住まで,東京大空襲,関東大震災の次にランクされる大火となってしまったのです。この大火は明暦の大火(振袖火事),文化大火(車町火事)とともに江戸3大火事に数えられています。火事の原因は放火でした。犯人は長五郎坊主真秀という男で,火事のどさくさに紛れて盗みをする火事場泥棒の常習者,寺に放火したまでは順調でしたが,火の廻りが速かったため何もとらず逃走。立派な袈裟衣を着て高僧になりすまし町を歩いていたところ,かかとにひび割れがあるのを怪しまれて捕まり,町中引き回しの上,火あぶりの刑に処せられました。当然ですね。

 この火事で江戸城のやぐらまでも延焼したので,大円寺は以後七十六年間も再建を許されなかったといいます。寺の入り口の左手にある石仏群は,この大火の犠牲者供養のために石工が50年の歳月をかけて完成したそうですよ。

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