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2003年05月07日
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 世界文化遺産の存在などは、全く知らなかった頃のことである。
それ自体が、まだ存在していなかったのかも知れない。
 ただそれでも、日本の原風景が、時間の移ろいから忘れ去られたように今も残されている秘境があるという、その夢の世界の存在については、折に触れて、学生時代から繰り返して、記憶の中に擦り込まれていた。
 その秘境とは、岐阜県の北の果て、合掌造りの里・白川郷だった。

 その記憶の奥に畳まれていた、秘境を訪れる日は、富山県を訪ねていたある時の、ふとした気まぐれから、実現することになった。
 今でこそ高速道路が、この白川郷まで延びて、気軽に訪ねられるようになっている。だがこの時にはまだ、国道でさえも、荘川の深い流れに沿って、くねり、ひとつ間違えばその深淵に飲み込まれそうな、非常な難所を通り抜けなければ、この村に入ることは、できなかったのである。
 その秘境に踏み入ってみようという思いは、よほどの時間と体力のゆとりがなければ、思ってみることもできないものだった。
 そしてその時には、早めに目的の仕事を終えて、時間の余裕ができたのだった。富山からの帰りコースは、岐阜県高山市を抜けてもどこを通っても、遠いことには違いがなかった。それならば、白川郷の中を通り抜けてやろう、ということにしたのである。
 これも、若さとひとり旅という、気楽さがあればこそ、できたことだった。

 このときのドライブコースは、こともあろうに、『人喰い谷』と名付けられた、とんでもない山の、断崖ルートだった。この谷の、身体が自然に山側に傾きそうな、険しいルートを、小さいクルマを走らせて、山深い白川郷に踏み入ったのは、草いきれが子供の頃を思い出させる、初夏の頃だった。

 合掌の里・白川郷は、水田にその独特の姿を映して、緑鮮やかに、初めて訪れた私の目を、楽しませてくれた。建物の姿が、合掌する手の形に似ていることから、『合掌造り』といわれている。農家の構造は、この里から外界に出ることが困難な、そして幕府直轄の歴史を持ち、養蚕で生活を支えた大家族の住まいにふさわしい、重量感溢れる、歴史を刻みつけたものだった。
 観光的に脚光を浴びてはいたが、あまりにも険しい環境にあるために、観光客の姿は、決して多くはなかった。
 そのチラホラと見える観光客に混じって、私も『合掌の里』(現在の合掌造り民家園)を訪ねてみた。合掌の里は、周辺各集落から、廃屋になった建物などを集めて、観光施設として整備を始めた、貴重な資料の村でもある。
 そこは、建築資料保存を目的として作られた施設だが、建物内部を存分に見て回れる上に、いろりの部屋や土間で、心ゆくまで休むことができる、回帰のエリアでもあった。池の畔を彩る白い花、すいーっと滑るシオカラトンボ。。。
 時の過ぎるのも忘れて、何時間、その建物の中で過ごしただろうか。だが、幾日も、この場所で時を過ごすことはできない。昼を回った頃に、荻町もひと通り歩いて、富山県側にある相倉(あいのくら)合掌村も、訪ねておくことに決めた。

 相倉合掌集落は、白川郷の荻町集落よりも、スケールは小さいが、さらに素朴な歴史を感じさせる、生活感が溢れる村落だった。
そして何と、私はこちらもまた、いや、こちらのほうが・・・気に入ってしまったのだった。
 しかし宿の手配もないままに、初夏の日は傾きかけている。まさに後ろ髪を引かれる思いで、この集落を後にして、一枚の地図を頼りに、岐阜市へと向かった。

 再び訪ねる日があることを願いながら。



 
 あのときから、何度、白川郷を訪ねただろうか。
ひと通り、四季を変えて、訪ねてはいた。だがその合掌造りの民宿には、まだ泊まったことがなかった。是非、泊まってみたいと思っていたのだが、なぜか機会を失していたのである。

 そしてある日。
これまたほんの思いつきで、白川郷に泊まってみようという気が沸き起こったのを幸いに、昼過ぎに、明善寺に近い民宿の看板を掲げた家の玄関を、開いてみた。
「ご免下さい。」
「はい、いらっしゃい。」
「突然で申し訳ありませんが、今夜は部屋が空いているでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。ちょうど他にもお泊まりのかたがいますから。一緒に囲炉裏で食事もできますから、是非どうぞ。」
「そうですか。有り難うございます。車は、停める場所がありますか?」
「庭の隅にでも停めて下さい。この先(狭い道)は、山に行くだけで行き止まりですから、構いませんよ。」
「車で一通り回ってみてから、夕方に、また来ますから、よろしくお願いします。」
「お気をつけて、行ってらっしゃい。」

 これで、初めて泊まる合掌造りの民宿は、気持ちよく予約ができた。観光地でありながら、駆け引きの素振りも見せずに、飛び込み客を受け入れてくれる村人の、心の純粋さに、清々しい気分を味わわされて、集落内を、車で巡った。
 集落内は、徒歩のほうが便利なほどなのだが、城跡まで登ってみたくて、車を利用したのである。




 秋の夕暮れは、暗くなるのが早くて、宿に帰ると、間もなく外は闇に沈んでしまった。
同宿者がいると言われていたので、呼ばれるままに、囲炉裏の部屋に向かった。
 そこには、同宿の先客が、静かに座っていた。細身の後ろ姿から、若い女性だということが解った。まだ若かった私にとっては、見知らぬ若い女性と、向き合って2人で食事をするなどという経験はない。はて、何かの会話ができるのだろうか?
 戸惑いながら自分の席に座ったのだが、ここでも、宿の人の心遣いを見せられることになった。
 食事が終わるまで、宿の人も同席してくれて、それとなく、場つなぎの話を、してくれたのである。合掌造りの歴史や、私たちがどこから来たのか、等々を、話しかけて下さったように思う。心遣いは有り難かったが、私には、その時の話の内容が、思い出せない。
 そして、同宿した女性の出身地や、名前も、今は全く思い出せない。ただ漠然と、(若さ故か)きれいな女性だったことは、記憶に留まっているのである。ひとり旅の若い女性が、こんな秘境の民宿に・・・? という印象はあったが、詮索する気も起きなかった。
 その夜の部屋は、宿の家族が住む部屋を隔てるように、私たちを分けて、あてがわれたようだった。

 そして翌朝もまた、同宿者は私とその女性だけなのだから、当然のように、向き合って朝食をとるようになった。
 その時には、夕食をともにした気安さがあったのだろうか。どちらからともなく、「今日の予定は?」などと、訪ねるようになっていた。私の予定は、以前に訪ねたことがある相倉集落を、訪ねてみることにしていた。
 彼女はバスを利用する予定なので、途中の菅沼合掌集落までで引き返すことにしている、ということだった。




 食事を終えると、宿の人に、バスの時刻を尋ねている。
「まだバスの時間までには、一時間以上ありますね。それに乗って行っても、帰りのバスがないから、戻るのは三時過ぎになるでしょうかねぇ。」
「それじゃ、そこだけしか見られませんね・・・。」

 そんな会話を交わしている。
「お客さんは、どちらに行かれるんですか?」
 いきなり、話の矛先が、私に向けられた。
「私は、その先の相倉まで、行く予定なのですが。」
「そこから富山に、行かれるのですか?」
「いいえ。戻ってきて、高山に抜けようと思っているんですが。」
「それじゃ、もしも構わなければ、こちらのお嬢さんを乗せて、途中の菅沼で、下ろしてあげてもらえないでしょうか?」
「構いませんよ。」

 ということに、急遽決まってしまったのである。
旅は道連れ・・・。(当時の)私とほぼ同じ年齢の、女性とのドライブなど、まさに、願ってもないことであった。

「本当にいいんですか? 予定を変えることになりませんか?」
 女性は、自分が同乗することで、余計な負担を与えるのではないかと、気遣ったようだった。
「同じ方向なんですから、構いませんよ。バスと違って、車なら、菅沼が予想と違ったら、そのまま相倉まで行ってきても、充分に余裕があるはずですから。」
 お節介だが、彼女の気分が変わったら、是非とも相倉集落も、見せてあげたいという気分になっていた。




「荷物を持ってきますから、済みませんが、待って下さい。」
「またここに戻るんでしょう?」
「ええ。三時半のバスに乗れれば、帰りの列車に間に合うんです。」
「それなら、民宿で荷物を預かって貰えばいいんじゃありませんか? いいですよね?」
「どうぞ、構いませんよ。身軽にして、行ってらっしゃい。」

 山奥の道を、案内するのである。
私としては、バスに間に合う時間に、間違いなく彼女を連れて帰るという保証を、彼女にも、宿の人にも確約するために、彼女の荷物を、宿に残させたのだった。
 物騒な事件も多いときだったからこそ、ひとり旅の女性を預かる責任を、宿の人にも示したのである。

 そのようないきさつで出発した思いがけないドライブだったが、途中の菅沼集落を、道路から見下ろした彼女は、私の予想通りの反応を示した。
「バスで来たら、ここを見るだけで今日は、お終いだったんですよね。」
「やはり、そう思いますか? 一日かけて見るには、(集落が)小さいでしょう?」
「ええ。時間を持て余しますね。」
「ついでですから、どうですか? 相倉集落まで、行ってみませんか?」
「遠いんじゃありませんか?」
「すぐそこというほどじゃありませんが、見物しても、充分に荻町まで帰れますよ。」
「お願いしても、いいですか?」
「ひとりでも二人でも、変わりませんから、こちらこそ、よろしければどうぞ。」
「じゃあ、遠慮なく。」




 相倉集落は、菅沼集落と違って、小さくまとまってはいても、資料館なども見られて、見応えは充分にある。生活感の濃さは、観光地として隅々まで気を配っている荻町とは、これまたひと味もふた味も、違った親しみやすい雰囲気を持っているのである。
 村の入口では、日の光をすべて吸い込んだように、コスモスの花が、ピンクに輝いて咲いていた。

 帰路に、彼女に感想を尋ねてみた。
「どうでしたか? 相倉合掌集落は?」
「私は、あんな所にも、合掌村があることを、知りませんでした。」
「岐阜県じゃありませんからね。あまり宣伝もしていませんし・・・。」
(当時は、相倉集落は、ほとんど宣伝をしていなかった)
「本当に、有り難うございました。荻町には申し訳ないんですけど、生活感があって、本物の合掌村が、まだあるという感じですね。」

 お世辞ではなく、本心から気に入ってくれた様子が、伝わってきた。
無事に彼女を民宿に送り届けて、私は御母衣ダムを越えて、高山市へと向かった。
 この時には、また途中で気まぐれ心が頭をもたげて、高山へは向かわずに、下呂温泉へ向かうコースに、車を向けていた。

 彼女はあれから、また一通り、荻町を歩いてみると言っていた。昼過ぎに白川郷に帰り着いたので、バスの時間まで、充分な余裕ができたから、ということだった。



 数十年も過ぎた今でも、なぜか、会話のあらましは、よみがえる。ただ、彼女の顔は、朧に包まれたように、思い出すことができない。
 そして今思い起こせば、彼女の言葉には、地方の訛が感じられなかった。

 東京の女性だったのだろうか。






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最終更新日  2003年05月08日 08時13分08秒



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