偕楽園散策記
地震で休園、一部開園後の偕楽園を散策した。崖の下に建造された吐玉線や噴水の玉龍泉は、断水せずに昏々と清水を迸っている。地震直後立ち入り禁止にしても、その柵を超えて水を汲みに来て、水道断水を凌いだ住民がいたらしい。吐玉線は、偕楽園創設時に知者を集めて改善整備し、噴水は、丘の水源を利用して3メートルの高さに噴水する仕掛けを創設したものであるが、170年経過しても水の勢いは変わらない。*片や、明治以降、偕楽園内に設置した各種神社の敷地内は、5メートルにも達する石灯篭などが崩れ、瓦礫の山ができていた。神社敷地以外には巨大灯篭は一基も見当たらないことからすると、創園者は、地震国における灯篭の危険性を予知していたのであろう。事実、石灯篭の笠、火袋、中台、基礎の間にコンクリートを薄く塗り、何トンもの重さの石を重ねてあるだけの危険極まりない建造物。元旦祭、記念祭などで、その危険物の間をぞろぞろと列を組んで通行したのかと思うと身の毛がよだつ。斉昭公は、不特定多数を招く園は、何よりも安全第一を心掛け、その種の危険物を設置しなかったのではないかなぁと思うと、あらためてその偉大さに感服した。