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カテゴリ:ぼやき/独り言
私が2年間、エクアドルで大変なことも辛いことも たくさんあったにも関わらず、生活できたのはやはり おかんのおかげのような気がする。 協力隊の選考試験の合格発表の日、私は相変わらず終電で夜中に家に帰り、急いでHPで合否をチェックした。 私の番号はそこにあり、まだ起きていたおかんに、「受かってたよ。」って一言知らせた。 おとんを起こさないように廊下の電話の前で電気も付けずに暗い場所で。 「ふ~ん。行くのか?」 私の方を見ずにそう言った。 「うん、行くよ。」 そう答えると 「ふ~ん。」 って、私を見ずに言った。 暗闇の中で見たその横顔が今も忘れられない。 その時のおかんにできる精一杯の‘普通’だったんだと思う。 その後のおかんは‘受け入れる’態勢を無理して演じているかのようであった。 私があげた世界地図で、エクアドルやその周辺国、世界の様々な国のことに興味を向けようとしているようであった。 海外にはほとんど興味無いくせに、なんとか私の視点を理解しようとしているようであった。 「ともこさんはここに行くんだね~。バナナの国だね~。すごいね~。」と言って、いつもはデルモンテのバナナがおいしいって言ってたくせに、エクアドル産のちょっと高めのバナナを買ってきたりした。 訓練が始まると実家にもJICA関係の新聞が送られているみたいで、実家に帰った時は、私がさも凄いことをしに行く人みたいに褒めた。 普段褒めることが無いおとんまでもが、少しだけ褒めてくれた。 それもこれも、おとんもおかんも口には出さないけど、自分の娘が何か意味のあることをしに行くと自分に言い聞かせることでバランスを保とうとしていたせいだと思う。 事実、私は協力隊で海外に行くことを別に偉いことだとも凄いことだとも思ってないし、特別なこととも思わない。そうしたい人の集まりだと思う。 協力隊に参加すること自体に意味は無く、そこで何をするかに意味があるのだから。 「うちのお父さんは○○会社(←超大手)の社長なんだよ~」なんて誰かが言っても「すごいね~」なんてサラサラ思わない。 「うちのお父さんは○○会社の社長なんだけど、今年のわんこそば大会で優勝したんだよ~。もういい年なのに~」って誰かが言ったら「マージで!!凄い!」って絶対言っちゃう。 当たり前だけど、肩書きや職業みたいな大枠で個人の中身は分かんないってこと。 脱線したけど、そういうことをうちのおかんは充分承知の上で、私に‘すごいね~’なんて言うんだからその時の心の内の複雑さは痛いほど伝わってきた。 うちの親にとって娘である私は凄い人や偉い人である必要は全く無いのだから。 もうよく覚えてないのだけど、出発前におかんに何かを用意しておいてとお願いして、そしたらおかんは赤い小さな袋にそれを入れて渡してくれたの。 その時は何気なく受け取って気付かなかったんだけど、後から赤い袋に白い修正液で ‘トモコ エクアドル バンザイ ツギハオヨメさん ヤサシイ女に’ ママより って書いてあったのに気付いた。 おかんの本音に、泣いた。 私にとって海外で2年間暮らすことはそこまで大きなことでは無いけれど、おかんにとっては違うってことを思い知ったから。 私は20歳の時にオーストラリアに1年行ってるし、他にも長期旅行を含めフラフラフラフラ色んな国を放浪してきた。 それでも‘エクアドル’というどこにあるかも知らない情報の無い国は特別だったようだ。 絶対に心配かけないで、危険な目に合わないで、元気に笑って帰らないといけないなって決意した。 それから、2年間の間にぶっちゃけ「も~帰ってもいーかなー」って思う時もあった。 私の考えでは、何千人も居る協力隊員が全員2年でミッション達成して帰るってことの方が不自然で、1年で「やりました!」って人も居たり、「2年じゃ何もできてない!」って人が居たりして当然だって思う。 まあ、2年って約束で来てるからそんなこと言ってもどうしようも無いのだけど。 私は途中で、ここでよりも日本でやりたいことができてしまって‘マジで帰っちゃおっかな~’なんて思ったりした。 でも、どんな理由で帰ったにせよ、親が万一「あっちでの生活は良くなかったのかな~」って思ったりしたら嫌だし、何より、必死に‘娘は意味のあることをしに行く’と思い込もうとしていた姿を思い出すと、途中で帰ることはできなかった。 結果的には、様々な体験をして考えて消化する上で2年間という期間が私には必要だったから助かった。 そういう訳で、親にはとても感謝している。 うちの親は、前にも書いたが超アナログでインターネットなんて全くやらない。 海外で暮らす子を持つ親だったらやってる人の方が断然多いけど、私はe-mailで簡単に連絡が取れなくて良かったって思ってる。 その分、たま~にだけど、手紙や電話やプレゼントに重みがあるし、たった一度だけ向こうから送ってくれた手紙である今年の年賀状には大笑いした上で涙が出た。 正月に電話した時「大爆笑の年賀状が届くからね~」って言われて、まさか向こうから頼んでもいないのに送ってくれてるなんて思わなかったから、そわそわして待ったし、私が大好きなおかん独特の水彩画をあしらった年賀状には、どこまでも深~い愛情が笑いを織り交ぜて溢れていた。 忘れられないくらい嬉しかったのはe-mailじゃ伝わらない‘生’な感じと、二年間のうちでたった一回だけの手紙だったからだろう。 私にとっての一番の支えは‘おかんの赤い袋’だった。部屋の一番目立つ場所に飾って、事ある度におかんからのメッセージを読んで、初心にかえった。 私の中にいつも居たおかんに、おとんに、ばあちゃんに、おねえに、お義兄に、たくさん支えてもらったことは、ずーっと忘れないで、これから関わっていかなきゃいかんなぁと思うのです。 それから、遠くに居ても近くに居ても、いつも私の話を落ち着いて優しく聞いてくれた秘書のサイホン博士にも、心から感謝しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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