想い出は心の宝石箱に。。。

2019/07/26(金)13:09

ウイーン回想録(20)ユーゴ・スラビア 。。。

ウイーン回想録(25)

にほんブログ村 ​​   当時の東欧6ケ国には、ユーゴスラビアが含まれていて、首都  ベオグラードに弊社の駐在員​​事務所もありました。 ​​ 多民族国家であるユーゴスラビアを評し、​​ ​ ​​七つの国境 (イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、         ギリシャ、アルバニア)  六つの共和国 (スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・          ヘルツェゴビナ、マケドニア)  五つの民族 (スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、         マケドニア人)  四つの言語 (スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)  三つの宗教 (カトリック、セルビア正教、イスラム教)  二つの文字 (ラテン文字、キリル文字)  一つの国家 (ユーゴスラビア)         ​​​​​​​​​​​​​​​​  共産主義のタガが外れると、コソボがまず1990年7月に独立を宣言し、これを  契機にユーゴスラビアは民族紛争の内戦状態となったのです。東欧巡回  駐在員3人がウイーンに着任したのは同年の8月ですから、内乱状態の兆しがあった  わけで、我々の定期的な訪問地からは外されました。  その後、クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツエゴビナ紛争、コソボ紛争、マケドニア  紛争などを経て、最終的にはスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツエゴビナ、  セルビア、コソボ、モンテネグロの7ケ国に分裂・独立しました。  ウイーン赴任前、ユーゴスラビアの代表的なスポーツ用品メーカーである、エラン  製品の日本輸入総代理店となることを上司が企画発案し、そのプロジェクトメンバー  として、皇子も本案件に携わりました。      1970年代スウエーデンのアルペンスキー選手インゲマル・ステンマルクが  アルペンスキー・ワールドカップで、エランのスキー板を使用して3連覇を  果たしたことで、その名は一躍有名になりました。  また、スキージャンプでも長年板を提供し、あの高梨沙羅ちゃんも愛用の  ブランド。2015~2016年シーズンのワールド・カップでは、プレヴツと高梨が  エランのスキーで、男女それぞれ総合優勝を果たしたのです。 ​​​​​​​​​​​​​​​​      ​  エランの副社長ポランシェックが独立し、RAINBOW と言う会社を設立。 ​​ ステンマルクとクリジャイというブランド名のスキー板を  エランでOEM生産し、それを​​日本で販売したいと、弊社に案件が持ちこまれた由。 ​​ ボーセン・クリジャイは、1987年のワールドカップで優勝するなど、  過去8回のタイトル・​​ホールダーでユーゴスラビア内では有名人です。         本店から、ポランシェックに逢うよう指示があり、ベオグラードを訪問しました。  彼との会食にはクリジャイも参加したので、記念として彼の名刺にサインを  もらってしまいましたがな・・・・ ​                   ​​​​​​​​​​​  ​         == 続く ==        ​         ​ブログ村ランキング参加しています。           下の画像を応援クリックしてね                 ↓                             にほんブログ村

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