2022/10/28(金)16:58
私の履歴書(1)神童 。。。
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ブログで双方向性のコミュニケーションがとれるようになると、相手の顔が
ぼんやりと浮かび、自分の心の中で其の人なりのイメージが、形成されてきます。
それが、実像と合致するかは別として・・・
最近、< 悠愛さんとは、どんな人なのか?一度お逢いしたい。>との
書き込みが、女性から特に増えてきてます。そして、この人はただものでは
ないと・・・そうです、昔神童今はただのものだす。
そこで悠愛皇子を知ってもらう為、日経新聞に掲載された< 私の履歴書 >
を再掲載する事としました。既に、新聞で読んだ方は、スルーしてくださいね。
先週の週刊文春特ダネ記事として、悠愛皇子は年齢不詳、住所不定なれど、
< 冥界からの使者 > < 魂の救済者 >と、紹介されて
いました。
皇子の生まれを辿れば、五摂家の一つ鷹司家の落し種( お歳だね!!
では、ございません )であり、摂政・関白を勤められた◎◎麻呂と、祇園の
ちょ~~売れっ子舞子< 豆奴 >、との間に出来た私生児でありました。
三条河原に捨てられた悠愛を、拾い育ててくれたのは鞍馬寺の高僧< 鑑禎 >
和尚。 鞍馬寺は皆様ご存知のごとく、源義経が修行したところでごじゃり
まする。
3歳から詩経五経を学び、その習熟度の早さに高僧達が驚き、< 神童
あらわる >という噂は、京の市中まで広く流布したのでした。
夜は、鞍馬山の天狗を相手に、新陰流の武術に励み、免許皆伝後その技を
柳生宗厳(むねよし)に、伝えたとも言われております。
小学校・中学校は、ぼ大学付属に入学し、<品行方正・学業優秀>なことから、
卒業生を送る( 送辞 )を在校生代表とし、述べる役を恒に仰せつかったの
です。勿論、( 掃除 )当番も併せて・・・
女子生徒と男子生徒の比率は2:1と、ハーレム状態。
文武両道に秀で、イケメンであった、わてのもてることと言ったら・・朝登校
すると、下駄箱が恋文( 現代のラブレター )で溢れかえっているので
ありました。この時期が、皇子人生において至福の時代で、その後は坂道を
転げ落ちるように、辛苦の時を過ごすことになるのでした。
高校は、当時東大合格者数の十位以内に、恒にランクインされるナンバー
スクールの、都立ぼ受験校で過ごしましたが、この高校生活程無味乾燥な
時は、ありませんでした。
<東大病患者養成機関>としての授業に反発した私は、当時まだ目新しい
スポーツであった、アメフトに精を入れたのです。ゆくゆくは花のQB
として、NFLの< スーパーボール>に出場する事を夢見て。
シュワちゃんも真っ青な、悠愛のマッチョなナイスバデイーは、この時の
厳しい練習を通じて、つくられたものであると言っても、過言ではない
でしょう。
大学は飛び級で、ハーバード大学院。併せて< ジュリアード学院 >で、
マエストロとしての道も模索したのだす。これが、あとでウイーン駐在
への道と繋がりました。
==つづく==
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