2009/08/17(月)20:01
人は、木の又から生まれない
かみさんの実家に帰ると、
山の神のお父さん、お母さんがいるわけで、
山の神ですでに、私の崇拝する神様なので、
いわば大神様というわけだ。
そして山の神でさえ、到底かなわないのに、
大神様には、畏れ多くて近寄れもしない。
威光、未だに衰えず、
82歳にして、全ての歯が生え揃っていて、
魚を骨ごとバリバリと食べる。
聞くところによれば全国歯のコンクールに
歯医者のたっての推薦で出場するらしい。
この度は、幼年兵として呉の戦艦に搭乗して
いた話しを子供らと拝聴した。
訥訥と話す戦争の記憶は、ときに遠く聞こえ、
ときに臨場感を増す話題もある。
岳父は、広島の原爆の被爆者でもある。
おかか様は、満州からの引揚者だ。
4泊4日の帰省の旅。
それは、山の神を大事にしなくてはと改めて
心に刻む旅でもある。
記:とらのこども
都会にいれば、若い女性が山のようにいて、
若い社員も、派遣の人もたくさんいる。
仕事上でまた夜の街で、彼ら彼女らと接し、
つい軽く扱っていないだろうかと自問する。
木の又から生まれる人はいない。
ご両親、そして多くの親族や友達に囲まれ
ようやく20数年。社会に出る。
都会にいると、そういう若者のありがたさ
を忘れそうになる。ましてや中国では如何。
人ひとりの重さは、ルーツと時間にある。