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大石シュウの土佐日記

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2013年04月18日
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カテゴリ:決意
昨日、県議時代から懸案事項だった高知県とミクロネシア連邦の友好協会立ち上げの準備会が開催され、出席してきました。

高知県と遠い南洋の国ミクロネシアの縁は明治25年、現在の高知市仁井田出身の青年、森小弁が貿易商社「一屋商会」社員として現在のミクロネシア連邦チューク諸島に移住した事から始まります。

当時、日本の論壇で、アジア太平洋地域の特に島嶼部に投資や移民をしよう、という「南進論」という思想がありました。
森小弁は、幼い頃から土佐を、そして日本全国を熱狂の渦に巻き込んだ自由民権運動に携わり、その活動家として名を為していましたが、民権運動の終わりと共に、その活躍の場を南洋開発に見出す様になります。

こうした南洋開発、移民の歴史を振り返ると、小弁の他にも、ブラジル移民の父と言われる水野龍やアメリカに渡り農場王として名を馳せた西原清東など多くの土佐人がこの時期海外に雄飛していますが、知行合一、という土佐の気風を地でいく小弁が特筆されるのは、思い立ったが吉日、全くの未開発の土地であったミクロネシアに身の危険も顧みず単身、まさにたった一人で乗り込んだ所にあります。

その後小弁は、現地の酋長の娘を妻に娶り、後日自らが島の酋長となって、島の為に働く事になります。
その活躍ぶりは当時の日本にも知れ渡り、一世を風靡した漫画「冒険ダン吉」のモデルにもなりますが、折しも政情不安定な時代、晩年は大東亜戦争の勃発もあり、島は連合艦隊の寄港地となり、戦火にさらされる事になり、小弁も非常な苦労をしましたが、小弁が他界後も、残された家族はミクロネシア連邦で重要な役割を果たす事になります。

そして、小弁がミクロネシアに渡ってから丁度115年後の2007年、小弁の曾孫にあたるエマニュエル・マニー・モリ氏が連邦の第七代大統領に就任。
高知県から飛び出した青年の激動の人生、この機会に再度光を当て、そして小弁が愛してやまないミクロネシア連邦との友好を深めていかなければならない、この思いはここから始まりました。

先日の準備会では、6月に協会の立ち上げ、8月には訪問団を送る、という具体的な動きが確認されました。

私も微力ですが、本県の歴史に根ざした国際交流、全力で取り組んでいきたいと思います。
またこのブログでもイベント情報はお知らせしていくつもりですので、宜しくお願い致します。

森小弁.jpg
(森小弁晩年の姿)

マニー.jpeg
(現在大統領二期目 小弁の曾孫マニー・モリ大統領)





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最終更新日  2013年04月18日 10時57分49秒



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