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カテゴリ:決意
今日からサイパン島に来ています。
月曜日、慌ただしく残った仕事を片付けて最終便で上京、朝10時の便で成田を出発、14時に無事サイパン国際空港に到着しました。 ![]() 空港に降り立った途端、ムッとした暑気がまとわりついてきました。 まさに南国、南洋の島、サイパンといった所です。 これから約一週間、以前からお世話になっている海外戦没者の御遺骨収容事業に携わる空援隊、日本青年遺骨収集団、日本政府の合同収容団の一員として、サイパン島での戦闘でお亡くなりになった日本兵等の「集団埋葬地」における御遺骨収容事業に参加します。 これまでニューギニアやフィリピンなど、高知県の大きな部隊が参加した戦いについての御遺骨の収容事業に積極的に参加して来ましたが、今回は初めてサイパン島に来ました。 今回の収容事業は、米国の公文書館から出てきた資料に基づいて、「集団埋葬地」の場所をを探し、掘り、収容するというある種これまでに無い取り組みです。 空援隊をはじめとする民間の団体が足を使い、汗をかいて様々な資料を分析し、想定される場所の持ち主や行政機関と交渉し、ようやく実際の収容活動が始まっています。 今回は日本軍が最後の攻撃、通称「バンザイ攻撃」を行い、玉砕した後、遺体を米軍が集めて埋めた「タナパグ地区」6本目の埋葬地の捜索です。 改めて今回、この地区の戦闘及び戦後処理に関する米国の公文書館の資料を目の当たりにしましたが、大きな衝撃を受けています。 一昨年、豪国戦争記念館でこれまで誰も存在すら知らなかったニューギニア戦における高知の兵士の記録が沢山出てきた時も驚きましたが、米国の資料の質と量は途方も無いものです。 戦闘詳報はもちろんの事、戦う前の日本軍の動きや天候、その場所まで事細かく詳細なレポートが作成されており、玉砕したとは言え、ほとんど資料が残されていない日本軍とは雲泥の差です。 ![]() ![]() ![]() 特に驚いたのは、遺体の処理が完了したというレポート、その日付が1944年7月12日だった事です。 実は、サイパン守備隊がこの場所で最後に総攻撃を仕掛け玉砕したのは、7日。 約3000名もの尊い命が失われた戦いが終わって僅か5日後に、遺体処理が完了したという極めて実務的な、そして冷静なレポートが提出されている事に、米軍の底知れぬ力、当時の日本軍との余りにも大きな力の差を改めて痛感しました。 しかし、考えてみれば米軍がこの詳細な記録を残している事によって、今を生きる私達がその御遺骨を収容する事が出来る、この巡り合わせも何とも言えない事実です。 今日は明日からの作業の確認をした後、追い詰められた多くの民間人が自ら命を絶った「バンザイ・クリフ」と「スーサイド・クリフ」にも行きました。 余りにも蒼い海の色とどこまでも透き通った奇麗な青空を見詰めていると、本当に何とも言えない気持ちになりましたが、とにかく、今は出来る事からコツコツ取り組むしかありません。 帰国出来る御遺骨があるならば、一柱でも早く帰国出来る様に、地道に取り組むのみです。 ![]() (集団埋葬地予想位置) またご報告させて頂きたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年05月29日 00時48分22秒
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