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はじめまして。無名大臣と申します。
この度、自らが本当に議論したいことを議論し、有志とともに勉強・交流をする場が欲しいと切に願い、このようなブログを立ち上げることにしました。 ここでは、悪乗りを廃し、議論に専念したいと思います。(多少の冗談はかまいませんが) どこまで徹底できるかわかりませんが、政治、経済、哲学、その他諸学を中心に議論していき、できれば自然科学の分野や文学論、美術論、音楽論などにまで話を広げていけたらいいなと考えています。 本当は普段から冷静に議論できればよいのですが、どうもまだ僕は対話において気軽な会話と議論の切り替えがうまくできないようです。 会話の相手が議論を望んでいないから議論ができない、という場合や、僕が思い切って議論に参加できないという場合も往々にしてあるのですが。 普段の僕と会話したい方は、メール下さい。mixi上にも顔を出していますので、そちらで会いましょう。 ちなみにこのサイトはリンク・引用ともに自由です。特に最近は社会学や法律学、政治学の分野等でブロゴスフィア(*1)の弊害が指摘されていますので、僕の意見に反対する方からの積極的なアプローチも歓迎したいと思います。 ではでは。次回より、本格的に議論を起していきたいと思います。 皆様、お返事をお待ちしています。 (*1)ブロゴスフィア………「ブログ」+「スフィア〔球体〕」の組み合わせによる新造語。 ブログ利用者の間で成り立っている世界のことを指す。一人もしくは数人の中心的人物〔コア〕のブログやサイトの下に、互いに同じ意見や特定の「ネタ」に対するリテラシー(ここでは、理解力、とでもしておく)を共有する人間同士のみで集まる傾向があるとされる。芸能人や知識人、交友関係での中心的人物などのブログには、この傾向が強く見られるという。そして、意見の対立するブログの間には意見交換を目的とした交流が少ないのも特徴。また、意見や感覚を共有する者同士のみでコミュニケーションを行うために、ブロゴスフィア内での意見が偏ったまま過激化しやすく、それが修正されないままである場合が見受けられることが多いという。(See.2ちゃんねるの政治議論版) ブログの世界は現実の世界と違い、意見の異なる人間と出会ったり直接向き合ったりする機会をもたらす「偶然の出会い、鉢合わせ」が起こりにくいために、このような現象が起こると考えられている。 ブロゴスフィアが問題視されるのは、市民の間で公平かつ幅広い議論が行われなければならない政治的な議論の場面である。ブログが普及し、その存在感を強めていくにしたがって、公平で幅広い議論が行われにくくなり、結果的に市民の合意の形成が困難になる恐れがあることを、ハーバード大学の憲法学者のキャス・サンスティーン教授らがアメリカでの実例に触れて既に指摘しはじめている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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