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カテゴリ:沖縄をめぐる魂の冒険
この騒動を見ていて人類に対して「宗教って一体何だろう」という問いかけが神様からなされているような気がしてなりません。私から見ればキリスト自身の教えは清い水のような感じなのですが、宗教団体や派閥というフィルターを通ると加工され色付きの水に変化して、それをキリストの教えとして飲まされる信者の多くは魂の自由を奪われてしまうと思います。 私はキリストの教えもブッタの教えもマホメットの教えも素晴らしいと感じますが、それと同様に自然界からの教えも本当に素晴らしいと思うし、ましてや畑を耕している田舎のお婆ちゃんの教えも真理をついていて素晴らしいと思います。 自分の内側と向き合って宗教とは何かを考える時期に来ているのかもしれませんね。それでは「沖縄をめぐる魂の冒険」の続きをどうぞ 仕事の取引先の会議の会場は市ヶ谷のホテルであった。会場に着くと取引先の社長が出迎えてくれて、私に会うなり挨拶そこそこで、「明日から出雲に行って出雲大社での正式参拝と滝でのミソギをするけど一緒に来てやらないか」というお誘いの話をしてきたのである。 「ミソギですか~、私も1度、ミソギがどういうものか体験してみたかったんですよ」と自分の口から自然にそういう言葉が出てきました。 「フンドシや鉢巻はこちらで用意できるから是非参加してくれると嬉しいけどなあ」という取り引き先の社長の言葉に「はい、わかりました」と何も考えず即返事をしていました。 返事をしたものの明日福岡のマンションへ戻ってミソギに必要なサンダルやバスタオル等をそろえなければいけないのと出雲までどうやって行くかを考えないといけませんでした。早速携帯のIモードで明日の出雲空港行きの便を調べると15時にあるのがわかりました。幸い明日の午前中に福岡に帰るので、一旦自分のマンションに帰ってから荷物の準備をして空港に向かっても余裕で15時の出雲空港行きの飛行機に間に合うことがわかりました。 翌日は予定通りに福岡に帰り荷物の準備をしてから、福岡空港へ向かい無事に15時の出雲行きの飛行機に搭乗した。出雲行きの飛行機は定員が30名にも満たない小さな飛行機でした。小型の飛行機は壁が薄いので一体感があって、空を飛んでいる感覚が不思議に思えました。これで風を感じることが出来れば夢の中で空を飛んでいる感覚に少し近いように感じました。 出雲空港に着いてすぐ出雲市駅行きのバスに乗りました。何度も出雲の地を訪れているのですが、飛行機で来るのは今回が初めてでした。私が一番最初に出雲に来たのは大学生の時で東京から夜行列車で行ったのを覚えています。2度目に行ったのは広島の会社に勤めていた時で原付バイクを片道約4時間運転して行きました。福岡に帰ってからも4回行っていて、今回で7度目の出雲であった。 いずれも出雲大社へ行ってお参りするのが目的の1つだったのですが、今これまでのことを振り返って考えてみると、不思議と出雲大社を訪れる時は何か霊的な旅の始まりを意味する儀式のように思えてならないのである。 その思いは私にとって出雲の地は縁が深い土地であるところからもきているのかもしれなかった。というのは私の父方の先祖は出雲の地を守護していた尼子氏に仕えていた尼子十勇士と呼ばれた武将の1人の末裔であると聞かされていたのも1つの理由であった。またこれまで私が出会った霊能者の多くが私の魂は出雲の神様と深い縁があるよと言われたことも理由の1つでもあった。 いずれにせよ出雲の神様に呼ばれる感じがする時は、何も考えず出雲に行ってしまう、または行ってしまう羽目になるのであった。今回も出雲の地でミソギをすると聞いて「私は行く」即決したのも出雲の神様に呼ばれていると思ったからであった。そして後からよくよく考えると石垣島でのヒルギ林を見た時の「浄化だよ」というメッセージと今回の滝でのミソギがすごくシンクロすることに気がつきました。 人生初体験の「ミソギ」は一体何を意味するのだろうか?とますます気持ちが高まってくるのがわかりました。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.05.19 20:46:12
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