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三人寄れば文殊の知恵

葬式仏教について考える

昨日たまたまあるブログを拝見したところ、仏教に対する批判が
多く書かれていました。

私は時折「仏教」でブログを検索しては
他のブログを訪問しています。

今こちらのサイトに訪問していただいている何人かの方々も
そうして見つけました。

興味がある場合には書き込みします。

仏教に対する批判などを見つけますと立場上(笑)
書き込みすることが多いです。

何故か返事が帰ってこないこともしばしばです。(笑)

よくある批判の一つに現代の仏教は
「本来ある仏教の姿から離れており、仏教とは関係のない
葬式・法事を行って金儲けをしている。」(葬式仏教)
というのがあります。

私もかつてはそう考えていました。ところが私の師匠は
「そうではない、現在の寺があるから
日本の宗教は維持されている。」というのです。

その当時はその意味が分かりませんでした。

その後高野山に登り専修学院の能化さん(先生)から
「僧侶が葬式を理解してきちんとしなければいけない」
と言われても「何を言っているんだろう」位にしか
考えていませんでした。

実際に葬式に携わるようになってやっと意味が分かりました。

現代の仏教は日本の民族信仰を代行しているだけなのです。

もともと仏教は538年百済からの貢献物として
仏像・経典・荘厳具(本堂の飾りつけ)
などが伝えられました。
最初は建築を中心として文化を輸入するようなものだったと
考えられています。

当時は茅ぶきの屋根が一般的な日本に、現代のお寺と
ほぼ変わりない仏教寺院の伽藍が出現したのです。

瓦と白壁でできた巨大な建物を設計する技術、そして仏像を
作る鋳物技術と同時にすずり、紙、筆、織物、絵画、さらに
楽器まで新しいものが取り入れられました。

この時点では仏教が葬式に関わることなど想像もできません。
では何故葬式に僧侶が関わるようになったか?

元々文化として取り入れられた仏教ですが、国家安泰を
祈願するものとして為政者によって保護されていきます。

さらに、為政者にとって最大の脅威である怨霊の鎮魂に
用いられるようになりました。

怨霊というと現代では馬鹿にされそうですが、
今でも死んだ人の悪口を言ってはいけないといいますし、
交通事故や自殺があった場所では
幽霊を見たという話が絶えません。

科学万能と思われている今ですらそうなのですから、
古代ではどれほど恐れられたか?

ここで仏教が日本の民族信仰と接点を持ちます。
回忌法要の発生です。定期的に修法を行うことによって
死者の魂を鎮めていくのです。

同時にお葬式も行うようになりました。
鎌倉時代の書物で「吉事次第」というものがあります。
「吉事」というのはそのままの意味でなく実は「凶事」
すなわち葬送のやり方を書いたものです。
その中に僧侶も出てきます。

しかし一般的ではありません。
まだ一部の天皇貴族に留まっています。

本格的に仏教が葬式と結びついたのは、江戸時代です。
キリシタンの取り締まりの目的で檀家制度を設けました。
それによって仏教による葬式が一般化しました。

ではそれまでは誰が葬式をしていたのでしょう?

本家の主・氏族の長が中心になってムラによって
行っていたといわれています。

現代では家族兄弟が離れ離れになって住んでいるのが
珍しくない、というよりも一族が同じ家で住んでいることの
ほうがまれでしょう。

しかし江戸時代まではそのようなことはほとんどありません。
ですから、可能だったわけです。
それによって葬送儀礼も継承されていました。

江戸時代に入って僧侶が葬式を担当するようになってからも
仏教的な色彩を帯びながら古くからの慣習は残されていきます。
以前として主催者はムラ人であり僧侶は
仏教による引導を行うだけでした。

ところが最近になってその慣習が崩れ始めました。
葬式がムラによって行われなくなってきたのです。
ムラ自体が崩れてしまったからです。
それによって長い間伝えられてきた儀礼に断絶が
起こっています。
葬送儀礼は僧侶まして葬儀社に聞くべきものではありません。
先祖より伝えられるものです。
それが伝えられなくなっているのです。

日本の民族信仰によって行われる葬式は元々その地域によって
かなりの特色を持っていましたが、平均化されつつあります。

今、葬式という民族信仰の原点を守る立場にあるのは、
葬式仏教といわれる現代仏教でありお寺です。 素光


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