三人寄れば文殊の知恵

2020/08/16(日)18:59

終戦の日が嫌い

政治・社会・文化・歴史(335)

(追記)徳島の感染者は、ついに90人になりました(@_@) 6月末の時点では、たった6人ですよ。1か月半で15倍! ところで、今、室内温度が37.5度なんですが、暑く感じない(ーー;) 危ないですかね?​​​​​​​​(クーラー投入しました) 昨日に続いて観測史上3位の37.7℃を記録しています。 なお、浜松が、最低気温の高い記録で、昨年の8月15日に 糸魚川が記録した、最低気温31.3℃に迫る、31.1℃を記録するか 期待が掛かっています(浜松の人は暑いだろうけど) (本文) 昨日、8月15日は日本では終戦記念日と言われています。 各地で戦没者の慰霊祭が行われますが、私も例年通り眉山の 平和記念塔へ向かう。 ところが閉まっている(@_@) 置かれた花が寂しげです。 (相変わらず落書きも健在) ちょうど、お盆と重なって、この日に戦争が終わったので 慰霊祭が各地で行われています。 でも、この終戦の日って嫌い( 一一) 「戦争をしてはいけない」「戦争をしたのが間違いだった」 とお題目を繰り返すのはいい加減やめてほしい。 厳密にいえば、8月15日は戦争が終わった日ではない。 日本がポツダム宣言の受諾を正式に発表した日で 実際の終戦記念日は9月2日、降伏文書に調印した日です。 現実に8月15日以降も、満州、樺太、千島列島では戦闘が続いています。 ​​終わらなかった戦争 ​​ そもそもの問題として、日本はソ連と中立条約を結んでいましたから それを一方的に破って、日本に攻めてきたことは、絶対に忘れてはいけない。 なぜ、ソ連は日本と中立条約を結んで、さらに、その条約を破ったか? それは、単純な問題で、日本が強かったから、中立条約を結び 負けそうになったから、攻め込んできた。 平和的外交手段だけで、国が守れると思う人はここは考えてほしい。 いくら弁舌が達者な、100歳のお婆さんでも、丸腰で1億円を 運ぶのは危ないだろう。 逆に、身長190センチ、体重120キロの巨漢が、 トゲの付いたごついプロテクターを付けてヘルメットをかぶり、 鉄パイプでも持っていたら、いくら口下手で気が小さいとしても 襲われない。 多くの人が誤解している事実がある。 武器を持つのと使うのは別の問題 使わなくても、持っていて「使うかもしれない」 と他国に思わせることが抑止力になります。 仮の話ですが、日本が2000万人の軍隊を持っていたら、 たとえ、アメリカでも攻めようとは思わないはず。 さて、私の子供の頃には戦争体験者が多かった、というより 世の中には戦争体験者の方が多かっただろう。 小学校の先生は、南方へ日本軍が進出した時にゴムが確保できて 「南方(進出)記念」(かっこ内曖昧です)のスタンプが押された ゴムボールをもらったことを楽しそうに話していた。 私の友人のお母さんは、桃の皮をむいて、自分たちは皮だけ食べて 身は兵隊さんにあげたと言ってましたが・・・ 桃なんか傷みやすいのに(*^_^*) また、別の小学校の先生は、よくビンタをする人だったが 「昔(戦時中)は定規の金属部分で叩かれて血が流れたか、我慢した」 などと説教していましたが、ちょっと違うような気がする(*^_^*) 普通のおっさんが、銭湯でヤクザ相手に「刺青しとるからって、 偉そうにするな」と喧嘩していたが、この人など帰還兵だろう。 もう亡くなられましたが、三人文殊寺の総代をされていた方は 恐ろしいほど度胸が据わって怖いもの無しでしたが、この人も 南方からの帰還兵でした。 中学まではビンタする先生が多かったですが、高校に入ってから それが全くなくなりました。世代的なギャップができたんだろうか? 親世代からよく聞いたのは「日本は物資が無いから負けた」 という話(*^_^*) 物資があったらアメリカに負けなかったというのですが・・・ 田舎だったので、空襲など経験しておらず、物がないことが 頭にあったのでしょうが、そういう世代の人は、戦時中は子供 でしょうから、私の祖父世代の認識だろうと思います。 しかし、違う。 ​日本は必勝を負けた​ というのが私の持論。 勝てる見込みが全くなかったというのであれば、 ​戦争をやったのが失敗だった。​ という結論になり、それ以上の学びはなくて、 300万人の犠牲者は犬死という可愛そうな結果になります。 例えて言えば、口論から喧嘩になり殺人事件を起こした犯人が、 「殺人は絶対にしてはいけない」「殺人をするのは悪いことなんだ」 と裁判で証言を繰り返したら、遺族はどう思うでしょう。 反省しているように見えます? 反省しているから供養しますって言われても・・・ むしろ、口論から喧嘩にならないためにはどうしたらよかったか。 喧嘩になっても相手を殺さないで、降参される方法は無かったか あるいは相手を殺すまえに止める方法は無かったか という点について説明したら、遺族は納得はできないまでも 反省していると理解はできるような気がする。 だから、「戦争は絶対にしてはいけない」「戦争をしたのが間違いだった」 というお題目を繰り返す人に対しては ​慰霊祭なんかやる意味あるの?​ と言いたくなる。 300万人の犠牲者を生かすためには、 まず、どうしたら戦争を回避できたのか? 回避できなかったとしても、勝てなかったのか? 勝てないまでも、早期終結あるいはマシな負け方は 無かったのか? ということを真剣に考える必要があると思います。 いかがでしょう?

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