2011/02/16(水)22:57
お悩み親父
よびりんさんの「半分の法則」というのになるかもしれないけれど、何事も半分と考えると、随分気が楽になるなあと、最近よく感じる。
例えば、夢や希望も半分かなえばいいじゃないかと考える。ハードルを下げてるだけで、後ろ向きな発想のようにも思えるが、むしろ、半分でよいと思うことで、無駄なものを削ぎ落とすことになっているような気がする。
歳をとったせいか、なかなか決断できないことが増えた。決断力が鈍ったのかもしれないし、問題を複雑化しているのかもしれない。なまじ若い頃よりいろいろなことが予測できるので、あーすれば、こっちはこーだけど、あっちはあーだ、でも、こーすれば。。なんて、そこに不確定な要素がいくつか重なれば、もう完全にフリーズしてしまう。
でも、これってよく考えたら、それにかかわることすべてに100点満点をとろうとしているのが原因かも。
得意なことや慣れてることに関しては、100点満点の姿がわりとわかるから、手の抜き方も良くわかる。100の力で100点なら、70点でよければ50以下の力で十分なことが多いので、費用対効果というか、効率を考えて的確な判断を下すことができる。生来不精な僕はよくこれをやる。
でも、不得意なことや慣れてないことは、そもそも100点満点の姿もよくわかってないから、手の抜き方もわからない。あれもこれもすべてにベストを求めて、結果、決断も身動きもできなくなったりする。
そういうときに、ざっくりと半分でいいと考えると、とても気分が楽になれるし、結果良い判断ができているような気がするのだ。
もうひとつ。これを書きながら気づいたことで、むしろこっちの方が大切だと思うが、要は僕の場合、決断できないというより、そもそも決断する必要のない、どっちでもいいような選択も増えたのだろうなとも思う。
明確な目標があるときは、迷うヒマもなく、次々といろいろな決断をしているものだ。
あるいは、決断するべきではないような事に首を突っ込んでいる。例えば、子供の進路なんて、心配こそすれ、僕が決断すべきことではない。
なのに、気がつけば当人以上に思い悩んでいたりする。いらぬお節介もいいところだ。
総じて精神的にヒマになったということなんだろうなと思う。目標を見失ってしまっているのだ。
なんとかしなくちゃあ。