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中将姫の命日にあたる5月14日、当麻寺で行われる『聖衆来迎練供養会式』(お練り、練供養会式)を見に出かけました。
練供養会式とは、「往生要集」を著した天台宗の僧・恵心僧都源信が比叡山で初めて行ったとされており、源信の生まれ故郷である當麻に伝わりました。 1005年、初めて當麻寺で練供養会式が行われて以来、千年以上も途切れること無く続けられています。 まず、當麻寺本堂である曼陀羅堂から東方にある娑婆堂まで長い架け橋が渡されます。曼陀羅堂は本尊當麻曼陀羅にあらわされる西方極楽浄土を象徴し、これに対して娑婆堂は私たちの住むこの俗世界を象徴して、小さくささやかなお堂です。その二つを繋ぐ橋はまさしく来迎(らいこう)橋。娑婆と浄土を繋ぐ最短距離の白い道です。 午後4時をまわるとまず僧侶が娑婆堂に向かい、まさに来迎をむかえんとする中将姫を囲んで読経いたします。やがて鐘が鳴ると極楽浄土の観音、勢至、地蔵菩薩が二十五菩薩を従えてまっすぐに来迎橋を下ってまいります。 読経の中、娑婆堂に至った観音菩薩は金蓮台に中将姫を遷し、勢至菩薩は光り輝くその両手で中将姫を優しく撫でます。娑婆の世界に別れを告げた中将法尼は菩薩聖衆に護られて来迎橋を渡り、極楽浄土に向かうのです。まさに極楽の曼陀羅堂にいたらんとするとき、夕日が二上山にかかり、あたりは西方浄土の様相に包まれます。 この練供養は仏様の来迎の様相をまさに現前したものです。日本の浄土信仰はまさに中将姫と當麻曼陀羅、練供養が広めたと言っても過言ではありません。貴族中心、国防中心の仏教が主流を成す中で當麻寺から始まった民衆の宗教は脈々と時代を流れ、やがて鎌倉時代の仏教革命へと流れ着くのです。 當麻寺 奥院「行事案内」より 當麻寺の聖衆来迎練供養会式は、わずか1時間ほどの儀式ですが、これが千年もの間、変わること無く受け継がれてきて、全国からたくさんの方がその模様を拝みにくるのですから、すごいことです・・・。 暑い中、たくさんの方が来られていました。 観光バスも10台以上は駐車していたと思います。 また来年と本堂に手を合わせて帰りました。 2008年にアリスと行った画像です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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