カテゴリ:スピリチュアル
先ほど実は別のタイトルで日記を書いていたのですが削除しました^^
特に理由はなくなんとなく、「やっぱやめておこ」といった感じです。 内容はなにげない仕事の話でした 今日はものすごくデリケートなことを書きます。 重たいことかもしれません。 少し抽象的に書きますと、 興味本位で、ほんのいたずら心である宗教団体のHPを見てみました。 内容を見て驚きました。 何に驚いたかというと、宗教団体ってもっと 自分では理解できないことを書いているのかと思っていたのですが、 チャクラの話が載っていたり ホームページの中で前世療法が紹介され、 ブライアン・L・ワイス博士の写真が載っていたり、 「生きがいの創造」の著者飯田史彦さんの文献から抜粋された文章が載っていたのです。 精神世界のことについて触れられていたのです。 複雑な気持ちでした。 スピリチュアルなことと、宗教的なものは紙一重で、 いくらスピリチュアルなことを知っていても それは白にでも黒にでもなってしまう。 ということは、今純粋にスピリチュアルなことを学ぼうとしている人が… いつか、別の方向に行ってしまうということが全くない、と 誰が断言できるでしょうか? いま現在どれだけ優れたセラピストやヒーラーであっても、 絶対にお金の亡者にはならない、人を支配するようにはならない、 そんなことは限らないのです。 スピリチュアルはとてもすばらしいですが それを逆手にとって刃にしてしまう人も出てくるかもしれません。 それと同時に、その宗教団体を純粋に崇拝している人は数多くいて、 私たちは頭ごなしに偏見の目を向けるべきなのでしょうか? とも考えました。 だって私たちだってそうならないと限らないし、 信仰すること自体は自由なのです。 偏見の目を向ける前に、まずどうして純粋にその団体を崇拝している人たちがいるのか? どんな理由があるのか? まずは「知ること」からはじめないといけないと思うのです。 闇があるから光がある。 どんなことでも、光の部分だけを知っていれば良いのではなく、 闇の部分も知っていかなくてはならない。 かつての大天使長ルシファー、後のサタンの話を思い出しました。 聖書の話は良くわかりませんが、 こういった伝説が存在しているということは 私たちにある意味で警告をしているのかもしれません。 「みんなが光の存在であり、でもまた闇になる可能性も同時にあるのだ」と。 そして自分だけが光に近づくのではなくて闇に近づこうとしている人を 救わなくてはいけないのではないか。 そう、葬るのではなくて救いだすことに意味があるのではないかと。 とってもデリケートな話になりました。 正直みなさんがどう思われるのか不安もあります。 うまく言葉がみつかりませんが、今回なぜ私がほんのいたずら心でHPを見たのか? 見る気になったのか自分でも不思議です。 もしかしたらそんなメッセージを受け取るためだったのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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