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近所を自転車で走っていたら、 路地に、こどものお絵かきが残っていた。 カラフルなチョークで解読不明な絵が描いてある。 なんだか懐かしい。 ふと幼い頃の記憶と、故郷の風景がよみがえる。 こどものころ、 ほんとうによく、 路地で遊んだなあ、、、と。 ● 実家の脇の道路は一方通行で、適度な交通量。 その両脇に立ち並ぶ家は、まさにご近所さんで、 自宅にあがり込んで遊んだことのない家は、2件だけだった。 ご近所の家族構成(ほとんど3世代同居)も、家の間取りも、ペットの名前も、 いまだに完璧に覚えている。笑 上下5歳づつくらいのあいだで、 だいたいどの家にも子供がいて、 (これってすごい確率? それが団塊ジュニア世代ってことなのか?) 兄弟入り混じって、ほんとよく遊んだなあ。。。 うちは共働きで、物心ついたときには母親も働いていたし、 同居している祖母も働いていたけれども、 さみしい思いをしたことなんて、ほとんど記憶にない。 家に帰ると自分で鍵を開けて、 キッチンにある母からの手紙と50円のおこずかいをチェック。 それを握り締めて、毎日どこかの家に遊びに行っていた。 毎日誰かと約束をしていたような記憶はないけど、 まあだいたい、どこかに行けば、みんないたから。 友達の家に行って、○○ちゃんいる?って言うと、 そこんちのママが△△くんちだよ、って教えてくれる。 そこに行くと、今度はおばあちゃんが□□に行ったよ、 って教えてくれて・・・の繰り返しで、 そのうちみんながいるところに辿り着く。 それこそ、途中の路地で遊んでいたり。 えらく、安全な町でもあったわけだ。 ● いまの実家の周辺は、、、 同世代の“かつての子供たち”は、 次世代を産み育て、あの地に住んでいるだろうか? そしていまあの辺に、 こどもたちの落書きはあるんだろうか。。。 せめて“じいじとばあばんち”として、 帰省する時間がたっぷりあるといいのだけど。。。 ・・・具体的に名前と顔を思い出しながら考えてみると、 意外と誰かしら地元に残ってくれている。 隣の家は、結婚前の兄弟が実家に暮らしているし、 反対側の隣の家は、結婚して家を建て直したんだった。 帰省するたびに玄関先に三輪車が止まっているのを思い出す。 実家には同居していなくても、 “スープの冷めない距離”に暮らしている友人の顔が浮かぶ。 別の友人は結婚して東京にいるけれども、 そうだあそこんちはお兄ちゃんが実家にいるはずだ、と思い出す。 東京にいるその友人も、こどもが出来てからは、 毎年の地元の夏祭りに子連れで帰省しているんで、 子供を抱っこした彼女とベランダ越しに話をするんだった。 (独身のうちは、ほとんど帰ってこなかったのに、笑 子供が出来てからは毎年見掛けるようになって、 祭りと孫にはパワーがあるんだなあと思ったものだった) 東京に出て暮らしているわたしは、 そのことをとてもありがたく思う。 ほんと、感謝の気持ちが沸き起こる。 ありがとう。 ● いまわたしが住む町(つまり東京)で、 わたしが育った頃のようなコミュニティは、 ほんとうに再生不可能なのだろうか? たとえばフローレンスは、そのひとつのやり方にチャレンジしている。 さらにもっと、個人的な暮らしレベルでも、 可能性はあると思うのだけれど。。。 ・・・と、こんなことを書いていたら、 4つ葉プロジェクトの市川さんのブログで、 まさにリンクしている話題を提供してくださっている。 「多世代子育て支援」について。 ブログの一部を抜粋すると、 >樋口先生も、 >「本来自然にあるべきものをわざわざ用意するのだから、必ずなんらかの仕掛けは必要です」 >というようなことをおっしゃっていました。 とあったけれども、たしかにそうだと思う。 まさにリンクした話題なのと、 今日のブログもそろそろ長くなってきたので、 つづきは水曜日の4つ葉ブログで書いてみようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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