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2009.07.19
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6権力の腐敗を正すものはなにか
―政治家は公共に奉仕する存在
I政治の世界に倫理やモラルを盛り込むということは、あなたの年来の主張でもあります。東京での初めての会談でも、あなたはいわれました。
「権力には倫理が伴う必要があります。権力は人々を善に近づけるためにあります。悪に近づけるためではありません。その正しい目的のための手段にもまた倫理と道徳が伴わねばならないと思います」
「権力」は、民衆に奉仕するための単なる「道具」であるということでしょう。「絶対的権力は、絶対的に腐敗する」とは、アクトン卿の言葉です。これは、歴史と社会を貫く一つの法則かもしれません。
Aどのような活動も同様だと思うのですが、政治も、人間性が本来抱えもつ欠点に苦しみます。人間は弱き生き物で、愚かで罪深く、しばしば聖パウロのように望む善行はできず、望みもしなかった過ちを犯してしまうものなのです。このようなことは、人間生活のあらゆる面で起こりますが、当然のことがながら、政治の世界においても、例外であろうはずがありません。
 政治家の仕事をこなす能力、知性、知識、奉仕者としての使命感、公にするところの価値観や方針や理想に対する強い責任感、気質、人々との交際の才能などが、行動の結果を明確に左右する要因です。政治家の場合、このような要因のうえに、さらに求められるものがあります。それは、権力に対する感受性とでもいえましょうか。
I権力に対する感受性とは、権力を行使する側は、常に権力の行使が、どうような影響と結果をもたらすかを、行使される立場に立って、考慮しなければならないということですね。
Aその通りです。もちろん、権力というものは、政治のみに特有な現象ではありません。他の分野でも、同様にあります。企業や社会的組織、官僚組織、軍隊、宗教団体の内部においても。しかし、いずれにおいても、政治における体制に結びついた機能行使のような重要性はありません。
 政治家の仕事は、当然のことながら、政治への従事ですが、国家や県のレベル、あるいは市町村レベルにおいても、政治的機能に直接関連した介入を必要とする任務を引き受けたとき、例えば国民投票や任命などで、権力の行使に加わることとなるのです。そのことは、そのような状況下にいる人たちの生活や人格に圧力をかけて、ある程度、地位を押しつけることになります。

なぜ、絶対的権力は絶対的に腐敗するのか
Iそうですね。だからこそ、権力を行使する立場にある人には、自己を厳しく律することが求められます。仏法の教えには「教いよいよ実なれば位いよいよ下し」と説かれます。あくまても謙虚であれ、との教えです。
A望む、望まないにかかわらず、権力は、特権を与えます。権力を行使する者は閣下とか猊下と呼ばれたり、高潔なというような敬称をつけられて、特別な扱いを受けます。日常生活においては、一番良い位置を占め、特別なサービスや恩恵を受けて、多くの人がもてはやしてくれます。一方で、不利な状況にあることや対立している事柄に関する情報を隠されたり、歪曲されて伝えられたりします。このような行為によって、自尊心がくすぐられたり、虚栄心をあおられたりするのです。もし政治家が人間としての謙虚さや人格的な強さをもっていなかったときには、このような環境におかれることにより、本来の大きな理想をなおざりにしたり、忘れてしまったり、また確固たる信念を揺るがしかねないのです。
I日本の政治家にも、よくいます。いや、もっとひどいかもしれません。
Aあなたは先にアクトン卿の言葉、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」をよく思い起こしてくださいました。ここからモンテスキューは、その学識の深さで、権力が権力を抑止するように、異なる機関に権力を分配することの必要性を指摘したのです。近代の民主主義国家では、公権力の分散、行政手続きの管理、公共事業の広報や監査の仕組み、あるいは世論やマスメディアなどの監視を受けることによって、権力の乱用を抑え、国家の腐敗を防いでいるのです。もっとも社会全体が明白な形で、あるいは暗黙のうちに、権力の乱用の過ちを受け入れていない限りにおいてですが。
I権力を監視するという、社会全体の明確な意思表示は、権力の乱用を防ぐために必要不可欠です。私が青年時代に師事した恩師は、「青年よ、心して政治を監視せよ」と言いました。日本人は、言いたいことも言わずに、なあなあで、事をすます傾向があります。万事に右へならえで、他人の眼を気にする一方、お上には逆らうな、という抜きがたい姿勢がみられます。
 ですから日本では、たえず体制側を擁護する宗教、思想なり信条がメジャーで、それ以外はマイナーとして否定されます。その結果、権力の暴走に歯止めがかからず、戦前の軍部の国家神道と結びついた独走を生み、一国は敗戦のみか、アジアに人々の惨禍をもたらしてしまいました。
A権力がはらむ最大の危機は、政治を目的化してしまうことです。マキャベリの考え方そのもので、彼は権力を獲得し、維持し、増強させるために、たとえ悪辣で犯罪的であろうとも、あらゆる手段を用いるよう、王子に勧めました。これを受け入れた瞬間から、理想は忘れられ、信条は捨てられ、政治は単なる権力闘争になってしまうのです。それが、政治の退廃です。本来、政治の目的とは、公共の福祉であり、権力とは、それを達成するための一手段にすぎなかったのですが…。
Iおっしゃる通りです。崇高な目標に向かう場合には、手段もまた、崇高でなくてはなりません。目的の前に、手段を堕落させてはならないのです。目的を忘れ手段を独り歩きさせてはもいけません。





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Last updated  2009.07.19 12:12:30



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