カテゴリ:政治・社会
明日、11月9日は投票日である。
今回は衆院選ということで、マスコミも連日のように取り上げるし関心度はまだ高い。 しかし、一地方の選挙時などは関心度も、比例して投票率も地を這うように低い。 もともと選挙などは必要がないものだったと思う。 各血族からの代表が全員で顔を寄せて話し合って解決していたのだろう。 それが、貧富の差が出来、争いが起き、支配被支配の関係が出来、小部族が大部族になり、大部族が取り込まれて社会となり、価値観が多様になり、全員で話し合う方法では上手く立ち回らなくなった。そこで、各価値観や各部族などの代表同士が話し合うために出来たもの、それが選挙だろう。 そういう意味においては、選挙区が大きければ大きいほど、有権者は候補者の情報(人柄や噂などでも)を手に入れづらい。 政党政治、とはそのために生まれた概念で、候補者がどの政党に属しているか、で、どの政策をとる政治家かを判断出きるようになっているはずである。 しかし、現在の二大政党が自由民主党と、その党から離脱して作った小さな政党の寄せ集めの結果でしかない民主党では、名前も似ていて違いがあるように思えない。 その他に情報を手に入れる方法としてはマスコミからの情報や経歴などに頼る他はなくなり、有名人がまずは頭の中に刻まれてしまって、有権者が何かしっくりとこない気持ちを抱き、投票から遠ざかるのも、当然の帰結なのだろう。 私は市議会選や県議会選など、本来ならば自分の身近で情報を容易く手に入れられるはずの選挙なのに、私の耳に名前と経歴以外何も入ってこないとき、怒りをこめて白票を投じる。不信感をこめて白票を投じる。 投票率が低ければ与党有利、高ければ無党派層を取り込める野党が有利、などとよく言われている。が、無党派層がどちらかに、どこかに必ず投票する、などという前提がどうして成り立つのだろう。 あがった投票率の分が全て『白票』だったら…その時、政治はどう変わって私たちに近づいてくれるのだろう…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.08.12 00:45:04
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