テーマ:障害児と生きる日常(4431)
カテゴリ:障害児と生きる日常
これは、姑の口癖である。
何かにつけて、これを口にする。 娘(彼女の孫)に甘くなりそうなとき、呪文のようにこれを唱え、娘に注意をしたり、しつけしたりする。 しかし、これはどうなのかな、と、思う。 もちろん、私が何かの理由で娘の前から去って、彼女が替わりに娘を育てるのであれば、それはそうだ。 が、私がいる以上は適切ではないのか、と、思う。 だって、これは母親代わり意気込みだ。 祖母には祖母しか出来ない、役割があろう。 例えば、障碍を持った子供を授かった母親は、様々な場面で子供の能力が他と違う場面に出くわし、苦しみ、 子供の可能性、などということ忘れがちである。 が、祖母、祖父、特に別居の彼らには、そのような場面はない。 ただ、ひたすら、孫を賢い、可愛い、障碍児なんかではない、と、頭をなでる。 私はそれでいい、と、思う。 その無条件の愛が、子供を救うこともある、と考える。 それを母親がすることは難しいことだ。 母親の仕事は別にある。 それは子供の障碍を受け止めてあげることかもしれない。 何があっても、どんな障碍があっても。 病院に通って、入院して、手術しても。 療育所に通って、養護学校に通っても。 どんなあなたでも大好きだ、と、示してあげられる存在、それが母親の役目ではないか、と。 それを、母親の私にも子供の可能性を信じろ、とか、 母親が信じないでどうする、とか。 強要するから話がおかしくなるのであるし。 逆に、母親の私がいるのに、同じかそれ以上に、厳しく毅然と接するから、子供が萎縮する。 母親には母親。 祖母や祖父には祖母や祖父にしか出来ない役割っていうのが、ある、と私は思う。 夫の役割は…人によって望むものが違うと思う。 が、私は、私と同じ、母親の気持ちでいてほしい、と思う。 今日、障碍児だけど可愛いよね、と笑っていてくれたら、明日だけは生きていこう、という精力にかわる。 また。 あれだけ、昼のカリスマ司会者の番組に傾倒し、黒豆ココアだ、焼きバナナだ、と、健康マニアになっているのに、 母親替わりなんて無理だ。 だって、娘の食事にマヨネーズを使用したら、 マヨネーズはコレステロールが高い。 大豆料理を作りながら、大豆には何やら言う栄養素があって、と、番組の受け売りを語る。 これでは、孫は年に似合わず健康マニアのようになってしまう。 これこそ、年寄りに育てる子供は三文安い、ではないのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.09.17 23:31:13
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