テーマ:たわごと(26839)
カテゴリ:私が私らしく生きるために
ぼやーっと考え事に没頭してしまう時間がある。
こういうときは、あまり具体的な心配事が何故か浮かばない。 人にとって宗教とは。 人が生きる意味。 自分の存在意義。 などなど、すぐに血にも肉にもならないことを、ああでもない、こうでもない、と考えている。 台所で食器を洗っているとき。 これはまだ良い、娘はビデオに釘つけにしてある。 入浴中。 娘を先に洗い、浴槽にお湯を少し張り、その中にいっぱいの玩具と一緒に先に入れておき、自分が洗っているとき。 夏場に一度。 なんとなく聞いたことのない音がしたな、と我に返ってみたら、たった10センチしか水を張っていない浴槽の中で、 仰向きの娘が上手に、かっと目を見開いて、まるで標本かなにかのように、静かにゆらゆらと底で大の字になっていた。 慌てて引き上げたが、また何事もなかったように遊びはじめた。 もしかしたら、私が考え事に没頭している間に、こうやって、ちょくちょく遊んでいるのかもしれない、 と、ちょっと思ってしまったほど、気がつくと、この時間はよく考え事をしてしまっている。 あと、恐いのがベビーカーを押しているとき。 娘はまだ歩くといっても、まだ宇宙遊泳レベルなので、移動はもっぱらベビーカーを使う。 ベビーカーに乗せてベルトをしてしまえば娘は動けないし、よく眠ってしまうので、つい考え事をしてしまうらしい。 段差に気づかず、ベビーカーを脱輪させてしまうこともある。 この日は『石橋を叩いて渡る』について、気がつけば考えていた。 夫は典型的な『石橋を叩いて渡る』タイプだ。 私は『石橋があると知っていても、その強度を確かめもせず、土手を降りて川岸に出て、そのままジャブジャブと川を渡って渡りきってしまう』タイプだ。 実妹は全く逆で、『石橋を叩いて叩いて叩いて叩いて叩き壊してしまって、自分で壊したにも関わらず、やっぱり壊れた、危なかったゼ、と胸をなでおろす』タイプだ。 よく二人で、実妹が石橋をガンガン叩いている後ろから私がやってきて、振り向きもせず川を渡っていく場面を想像して笑ったものだった。 他にも、知人をあれこれ想像して、ほくそ笑んで過ごしていた。 娘は…どうなんだろう。 何度想像しても、今の娘しか想像できない。 石橋を石橋とも分からず、きゃっきゃと私を振り切ってどんどん渡ってしまって、 でも、スレ違う人の何かしらのきっかけで突然恐くなって、泣きながら走り戻ってくる、そんな場面しか。 一体、どんなタイプになるのかな。 それとも、もう決まっているのだろうか。 それが分かるまでに、どんなタイプでも、そんなあなたが一番だよ、と、言えるように私が成長出来るだろうか。 しかし、だ。 それよりも今は、少しは私も石橋を叩いて渡るタイプに近づけるように成長して、安全に気をつけなければならないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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