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ボストンで、バスに乗る時はいつもドキドキする。
以前、一度降車ボタンが壊れていて降りるのに苦労したことがあるから… 昨日、13歳の友達とそのお母さんとバスの中で会った。 お母さんは英語が話せないので、「あにょはせよ」と挨拶だけ交わす。 13歳の友達と俺は話し出す。 ふとした瞬間に、思い出が表面化する。 バスの降車ボタンを押すたびに表面に出てこないが、潜在的に思い出すこと。 母と一緒に乗ったバス。 そして、バスの降車ボタンを押したがる自分。 それをきっかけに 母の誕生月の2月に 母との思い出が詰まった、育ち故郷の異国の地で なんか、母への感謝、母との思い出がいろいろ出てくる。 ・注射が怖いと泣きついたこと。 ・階段から飛び降りれると、意味もなく 階段から飛び降りたこと。 ・転んだ後、「泣かなかったよ」と報告したこと。 ・自動販売機やエレベーターのボタンを押させてくれたこと。 ・おはしの使い方を教えてくれたこと。 ・トイレで、うんちした後、ふいてもらったこと。 みんなにも、何かしらあるはずだ。 異国の地で全く連絡をとっていないことも影響したのかもしれない。 右も左も、切符の買い方さえも知らないところですごしているからかもしれない。 でも、関係ない。 母のおかげで僕は、ここまで成長してこれた。 改めて言うのは、恥ずかしくて 簡単なのに、難しいことなんだけれど・・・ この場を借りて言う。 「ありがとう。」 この言葉以外は、もう何も言えない。 すべての気持ちをこの5文字にこめる。 そして、僕は、その言葉がもらえるような親になれるように しっかりと前を向いて歩いていく。 そう、僕の中には、母が生きている。 そして、これからも、それは子供に受け継がれ 生きていくのだろう お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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