4月8日の記録
早朝から例年向かう寂庵の「花まつり」に向かいました。前日に夫に話すと、「もう何年になる?」と尋ねられ、8年は経つかと振り返ります。二女もまだ大学が休みなので、一緒に行きました。今回は、震災チャリティーバザーも行われ、開門されてサンガへ向かうと入り口に寂聴さんが立っていらっしゃり、訪ねて来た方一人ひとりに「よくいらっしゃいました」と握手をしてくださいました。 半年間背骨を圧迫骨折され、入院と治療に専念されていたので、久しぶりにファン及び参拝者の前に出てこられました。お元気で変わりない優しいお姿を拝見できて、感慨無量でした。それでも、ずっと立つのはお辛いようで、少ししたらベンチに腰掛けていらっしゃいました。 スタッフの方たちは、皆さん赤のTシャツを着ていて、それは「元気パワー」を表現してるようで、皆さんが快活な笑顔で対応されていたので、余計に庵主様の心意気がスタッフを通して感じられました。 バザーで、二部式の着物とほか小物を購入しました。女優の松原智恵子さんの御着物が出品されていて、16000円と格安だったのですが、女優さんが着ていた物を私が買うことがおこがましいと感じて、買うのを躊躇ったと夫に打ち明けましたら、先日私の誕生日にご祝儀を夫がくれて、そのお金で十分買えたはずだから買えばよかったのにと言ってくれたのは、意外でしたが嬉しい一言でした。 お堂から出て、外で待っていると寂聴さんは、来る人来る人に握手を交わしていらっしゃり、今日の法話はもうないのだろうかと佇んでいると、「じゃ、この辺りで始めましょうか」と、ミニ法話は始まりました。マイクもなしで、話し始められたのですが、徐々に周りを囲み円陣ができ、優しい空間が出来ました。有難いことでした。お話の内容は。ずっと寝たきり状態だったので、今回の震災で一番心配したのは寝たきりの高齢者。そういう高齢者をもつご家族。自分で動けないことが、こんなに大変なことだということを身にしみて感じたからこそ。。これまで「想像力」で、ご相談者の気持ちになってアドバイスしてきたのね、でも、やっぱり「自分で体験してみなきゃ、その気持ちはわからない」って、改めて感じました。 この次のお言葉が、私がブログが書けなくなったキッカケのことなんですが、「助けてあげたくても、動けない家族を救うことが出来ず、その手を離してしまったばかりに流されたとかいうご家族の気持ちとか・・・」救えなかったという遺された家族の気持ち、自責の念が自分の母を救えなかった気持ちと重なって、どれほど苦しいだろうとご家族をおもうと、慰めの言葉とかそういう無粋な感情を書くことさえしてはいけないように思えて綴れなくなりました。寂聴さんも、同じ事を思って心配されていたことを知り、また「皆さんも、心配でしょう。祈りましょう。念を送りましょう。「祈り」や「念」は、人の為にする行為は効き目があるの。自分の欲の為の願い事なんかは、利かないですけどね「お金持ちになりますようにとか、宝くじがあたりますようにとかね、そんなのは利かないの。でもね、誰か他の人の為の祈りや念は、通じるの。だから、皆さんで祈ってくださいね。 私も、こんな風になってしまったけれど、それでも今日のように皆さんが来て下さると、本当に嬉しい。本当に有難う。皆さんが集まってくださることで、元気を頂きました。このパワーで、日本を元気にしてゆきましょうね」そんなお話がありました。他には、「科学がこれだけ進んでいるというのに、天災を防ぐ技術の進歩はないのかしらね?そういうことを先に考えてほしいわよね。」というつぶやきのようなメッセージとか。「この間まで、走り回れてたのに・・・以前はカッコよかったわよね、私。」と仰る言葉に、みんなで微笑みながらうなづきました。ミニ法話を拝聴したことで、自分の中のもやもやが吹っ切れました。お話を聞いて、庵を後にし、嵐電に乗って「桜のトンネル」の通り抜けをし、春の一般公開が行われている京都御所へ向かいました。初めての京都御所。外の広さに驚きました。入り口と反対方向の外周を歩いたために足が、相当疲れました。しかし、御所の中を拝見すると魅了されるものばかりで、足の疲れさえ忘れるほどでした。そして、これまで日本庭園とかまったく興味がなかったのに、庭園の素晴らしさ、木々の剪定の素晴らしさにまで魅了されました。桜の木もたくさんあり、丁度見ごろでした。そこから、バスに乗って銀閣寺道で降りて、最終目的の哲学の道を歩きました。桜を十分堪能しました。3月末に従兄の危篤の報を受け、病院に駆けつけまだ「生」を感じるその意識の無い姿に耳だけは聞こえると聴いた事があるから「桜がもうすぐ咲くから、がんばって」と声をかけましたが、4月に入り前に亡くなりました葬儀は家族葬でするからと、ご家族の意を汲み亡くなった日も知らされることなくすべてが終わってから連絡を受けたのですが、最期のお別れをしないままの別れがこれほど淋しいものだということを味わいました。それだけに例年以上に桜が愛しく感じています。特に、御所にあった この枯れ木のような木に花がついてるこの桜が愛しくて溜まらず、写真に収めました。 生きる力を感じました