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カテゴリ:俗に言うエッセイ。もしくは日記。
せっかくのゴールデンウィークなのだからということで家族でドライブに出掛けた。ドライブ先は「ど」が付くほどの田舎で、田舎好きな自分にとってはたまらなかった。
うわっ、うわっほい、山だ山だ、地球に生まれて良かった、でも欲をいうなら火星に生まれたかった、とよくわからないテンションに陥り写真を20枚ほど撮る。 とその時、工事現場の横を通りかかった。それを見て、ふと自分の脳裏に近所の昔の光景が浮かんだ。それはまだ自分が幼かった頃、どこもかしこも田んぼまみれだった近所の一角に小さなアパートが出来た時の光景だった。それは田んぼの一部を潰してできたもので、ここもやがて街へと変わっていくのかもしれないと幼い僕は想像を巡らせていた。 それから大体8年近く経ち、あの頃近所にたくさんあった田んぼは今では半分も残っていない。 アパートやマンションは決して全部が全部必要なものではない。既存のアパートに人がほとんど埋まらない内からどんどんどんどん新しいアパートが作られていったのである。こうなった背景には国による高額な相続税の負担なども関わっている。こうしてほんの10年も経たぬ間にも自然は身の回りから確実に消えていったのだ。 さて、ではこの自然のあふれる美しい光景も時の経過に伴いやがては消えていってしまうのだろうか。 考えてみると腹が立ってくる。工事とかいう名目でこれ以上この地を荒らさんとさっさとここから立ち去れや。とか叫びたくなる。ひなみざわには一切手を触れささんぞ。ダムなんか作らせんぞ。おやしろさまに祟られても知らへんぞ。 しかし、工事を繰り返すことで便利になるのは他でもない自分達なのに、そこか ら影響してくる負の面については反感を持ち、問題視する。これもやはり、もしかしたら所詮は人間のエゴなのかもしれない。 だが、人が普段何気なく壊している自然は人には決して作りだせないものだということを忘れてはならない。そして、自然を壊す権利なんて私達のどこにもないのだということも。私達は今までに自然をもうここまでめちゃくちゃにしたのだ。それに罪悪感を感じる人は、せめてもうこれ以上、自然に被害を与えないような生き方をして下さい。 そしてもし、自分と同じように自然に触れることで心が震える人が他にもいるならば、このもどかしい実情に怒りを覚えている人がいるならば、たった一つでもいいから何か行動をして下さい。変化というのは大体そういうところから始まっていくものなのですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.05.08 16:02:23
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