私達には、言葉では伝えきれない世界が沢山あります。何となくイメージとしては理解できても実感するのは無理な世界があると言うことです。例えば、オーロラの映像をコタツの中で見ても、その実感は解らないでしょう。視覚に寄る映像の美しさだけで、その場の環境の厳しさや空気感などは、熱帯の環境しか知らない人に解れと言うのは無理と言うものでしょう。
小さな池に仲の良い魚とカエルが暮らしていたんです。ある日の朝から、友達のカエルの姿が見えません。魚は池の中をくるくる回ってカエルを探しましたがカエルは見つかりません。カエルの姿が見えなくなって数日が経った朝、カエルの姿が池の中にありました。魚は、カエルさん何処に行っていたのとカエルに尋ねます。カエルは、ちょっと丘に行っていたんだと答えます。魚は、丘を知りませんから、丘ってどんな風に成って居るのと尋ねます。丘は深いの?波は来るの?丘の水は温かいの、冷たいの?などと、魚は自分が暮らしている環境がすべてだから、その環境の比較でしか尋ねることしか出来ません。カエルの答えは、聞いたことも見たことも無い話しばかりです。丘は、気が遠くなるほど広いし、波も無いし、コンクリートの家もあるし人間も住んで居るし、犬や猫も居るんだよと話して上げるんだけど、想像する事すら出来ない話しに、魚は、そんな訳の解らない所の何処が良いのと首をかしげるばかりです。
この魚に、陸地の実際を解って貰う為には、今度生れて来る時にせめてカエルかカメくらいに成って生れて来て、実際にその目でその手足で体験して貰う以外には方法は無いんです。私達が実際に暮らしている今の環境でも実際には、言葉で説明出来ない世界は限りなくあるんですが、我々の日常の暮らしの中では、その様には考えられません。物事を知らない人ほどものしり博士で、自分がすべてなんです。そのものしり博士の主観や概念を越えた話しをして受け入れて貰えることは、アメリカに丸腰に成れと言って受け入れて貰えるかと言う話しに等しい。その様にどうにもならない世界と言うものがあるんです。
ものの例えを下ネタでと思ったんですが、あまり下ネタばかり書いているとケェーシー高峰氏に似て来ると困るので、無難な例えを書きました。ご理解頂けたでしょうか。
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】世の中には、本間に賢い人と頭の悪い人が暮らしている。それを浮き世と言うんだけれど・・・
ラッキーでした(^O^)/
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