つりつり倶楽部とは名ばかりの・・・。

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第一回 象山、益次郎、池田屋騒動

先日、御池通りから三条通りまで木屋町筋を歩いていると、この様な碑を見つけました。

さくま
右が佐久間象山の遭難の碑、左が大村益次郎の遭難の碑です。

幕末の軍学者であり、勝海舟・吉田松陰・橋本左内・河合継之助などの師匠であり、
勝海舟の義理の弟(海舟の妹と結婚した為)でもあった佐久間象山は1864年7月に
肥後藩士・川上彦斎らによって暗殺されています。

長州の軍学者であり医者でもあった大村益次郎も1869年近くの宿で襲撃されています。
犯人は上野攻撃の時に言い争った海江田信義の手の者だといわれています。
まぁ西郷どんを悪くいっていたので薩摩からは相当恨まれていたと思います。
ちなみに高瀬川を通って伏見から大阪まで搬送された時の従者のなかに日露戦争で有
名になった児玉源太郎と乃木希典がいたそうです。

そして三条通にでるとこんな碑が・・。

池田や
有名な池田屋騒動のあった場所です。
1864年に新撰組が尊王攘夷の志士(これには少し誤りがあるかも知れない、新撰組
は皇室より褒美が出ているので。)を襲撃した事件です。
後に改革が2年遅れたと言われるこの事件は、新撰組の名を世に知らしめる事となりま
す。
しかし先の碑からこの碑までわずか100m少し、時期は違えど正に暗殺地帯と言えよう。
(まぁ京都はほとんどそうですが)
この近くには山口(長州)藩邸がありそれも関係しているかもしれない。

そして佐久間象山の息子・三浦休之助が新撰組に入隊しているのもなにか因縁を感じ
てなりません。
又、佐久間象山を暗殺した河上彦斎はそれを後悔して、以後いっさい暗殺をやめ、
新政府に参加することも拒んだそうです。
それが原因で死刑となりましたが・・。


さて第一回の「駄文的歴史考」いかがでしたでしょうか?
こんな調子で不定期にやって行こうとおもいます。

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