(2)ダルヤンへ出発《2月―銀色の休日》 ~2003年2月の記録 ∬第2話 ダルヤンへ出発 予定1日目。 ときおり風に乗って雨粒が落ちてくるものの、雲の切れ間から太陽すら顔を覗かせる、ごくありきたりの曇り空だった。 アンタルヤからダルヤンまでは、コルクテリ経由でアク山脈を抜け、フェティエに出た後、海岸線沿いの道を走るルートが最短と思われた。 我が家のオンボロワゴンでは、平均時速60kmがいいところだろうと推測し、アンタルヤ~フェティエ間220kmを約4時間、フェティエ~ダルヤン間100kmを約2時間、合計6時間の予定でアンタルヤを11時過ぎに出発した。 昼食はフェティエあたりでとることにし、前の晩に焼いておいたチョコレートケーキやボレキ(トルコ風のパイ)、スーパーで買っておいたゴマ付きのクラッカー、ビスケット、ポテトチップス、剥いてタッパーに詰めたリンゴ、ジュース、コーヒー、水と、車には小腹を満たすためのおやつの用意も万全。 アンタルヤからいったん進路を北にとり、ブルドゥル方面に10分ほど車を走らせると、すぐにコルクテリ方面への交差点にぶつかる。 交差点の角には、荷物を抱えた14歳の少年が立っていた。 家族の用事を言い遣ってきたのだろう。貧しくてバスに乗れないか、バスを逃がしたのであろう少年を、夫はトルコのごく普通の大人の例に洩れず、そのまま見捨てておけなかったらしい。助手席に乗せてやると、名前や年齢、将来就きたい職業など、矢継ぎ早に聞いては、少年をねぎらい、その心を解きほぐすことに務めていた。 車は、昨年の秋、キノコ探しに訪れた松林を左右に見ながら、西北方向へ順調に走っていく。 小さな村で少年が降りると、ふたたび家族4人だけのドライブに戻った。 コルクテリを過ぎると、道は南東方向へと折れ、アク山脈の谷間を貫く渓谷に沿ってフェティエまでまっすぐに伸びていく。 昨年カルカンからの帰り道で通ったエルマル経由の山道に比べると、はるかに平坦でカーブもアップダウンも少なく、アスファルトの状態も良好、運転しやすい道のようだ。 フェティエに着いたのは、出発からたった3時間後。予想されたトラブルも一切なく、平均時速80kmで飛ばすことができた。 フェティエ市内で昼食を終えると、ダルヤンまでは残すところ約100km。 この区間が今回で一番の難所である。標高は低いものの、峠越えが2回。 このハードルも難なく乗り越え、オルタジャを経由して午後4時半、我らがオンボロワゴンは無事ダルヤンに到着した。 夫の愛車は、老体にもかかわらず、この区間も平均時速80kmを維持してくれたのだった。 ダルヤンは、その北に位置するキョイジェイズ湖から流れ出た水が、右左と蛇行しながらエーゲ海に注ぐ川の中程に発展した町である。 エーゲ海から川を伝って上ってくる強い海風に煽られて、船着場に並ぶ舟は揺れて互いにぶつかり合い、広場やプロムナード沿いに植えられている椰子や棕櫚の木々は大きくしなっていた。 灰色の雲に覆われたシーズンオフの観光地は、予想をはるかに裏切って、あまりにも寂しげな風情だった。 (つづく) ∬第3話 ホテル探し |