我孫子の「子の神大黒天」の縁起には次のように書かれています。
「子之神将は、行基菩薩が諸国巡錫の折りに下総国国分寺で薬師如来と十二神将および大黒天を刻んで安置したが、国分寺がたびたび火災の災厄に逢うので、尊像を背負って諸国を遊歴した宥啓阿闍梨により、康保元年(964)此の地に一宇を造り安置されたと言う。」
ここの本尊のうつしを見せていただきました。
写真も撮らせていただきました。
また、ここには、金(かね)のわらじが奉納されています。そのことも縁起に記されています。
「子の神信仰は山の尾根を歩いて突端の切羽詰まるところで祈ることが多いと言い、足腰が強くなければ戻ることも出来ず、命を失う危険もある。それで無事里に戻れたら新しいわらじを奉納した。
後世になって金(かね)のわらじとなり、今はブリキのわらじが奉納されている。『長い人生でどんな茨の道でもわらじが擦り切れることなく歩けるよう』との願掛けである。
10月末の日曜日の我孫子のエビス講には柴灯(サイトウ)護摩が焚かれ、山伏姿の僧侶が呪文を唱えながら集まった人々からお札を集めて燃やした。おさまった火の上をはだしで歩く火渡りをすると足腰の病に罹らないと信じられている。」
私もまだ足が、おかしいので、金(かね)のわらじを奉納しました。
わらじの一つに、住所と氏名を書き、もう一つに、患っている箇所を書きます。
「どうぞ治りますように」
また、「子の神大黒天」には源頼朝にまつわる言伝えがあります。このことを年賀状に書きました。
源頼朝が行脚の途中、我孫子で重い脚の病にかかったおり、
夢のなかに白ネズミに乗った翁が現れ、柊(ヒイラギ)の葉で
足を祓うと治ったと伝えられています。
足腰の病をかかえた人が遠くからも参拝に訪れます。
10月の第4日曜日には「火渡り」の行事が行われます
正月は新年の護摩焚きが行われていました。写真は、その護摩焚きで振る舞い酒をいただいているところです。
年賀状には、「火渡り」を載せました。
どうぞ、今年が健康で幸せな年でありますように。