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ゴッホは主に、<ひまわり>について学びました。
「ひまわり」について少しだけメモっておきます。 ゴッホにとってアルルとは、ひまわりとはどんな魅力があったのでしょうか。 1888年、35歳のときにゴッホはパリからアルルに移り住みます。 そこで芸術家の共同体をつくり、未来の芸術を創り出すという夢を抱いていました。 ゴッホはその計画を実現させようと何人かの画家たちによびかけましたが、その誘いに応じたのはゴーギャンだけでした。 それでもゴッホの夢は実現に向けて大きく膨らみました。 そこでラマルテール広場に面した、「黄色い家」のアトリエに装飾画として12点の<ひまわり>を描こうと決意します。 ゴッホがひまわりを選んだ理由ははっきりしていません。とにかくその時期、ひまわりは最盛期でした。また、ゴーギャンがゴッホの<ひまわり>を気に入っていた、ということがその理由にあげられています。 そして、椅子も12脚買い揃えました。 この12のいう数は、キリストの12使徒になぞらえています。 ゴッホは弟テオにこうした手紙を書いています。 「僕は今、ブイヤベースを食べるマルセイユ人のように熱心に制作している。描いているのが大きな向日葵の絵だと言えば、君も成程と思うだろう。今手がけているのは次の3点だ。(1)緑の花瓶の大きな花、明るい背景で15号のカンヴァス、(2)3本の花のほかに、花弁が落ちて種になった花と蕾があるもの、背景はロイヤル・ブルー、25号、(3)12本の花と蕾が黄色い花瓶にさしてあるもの(30号)。この最後のものは、明るい色の上に明るい色を置いたもので、一番良いものになるのではないかと期待している。向日葵は多分これだけで終りにはならないだろう。自分たちのアトリエでG(ゴーギャン)といっしょに生活するという希望が持てるようになったので、アトリエの装飾をしたいと考えている。大きな向日葵だけで装飾するのだ。君の店のすぐそばのレストランに、見事な花の装飾があるのは君もよく知っているだろう。あそこの陳列窓に大きな向日葵があったのをいつも思い出す。結局この計画を実現するなら、12点の装飾画を描かなければいけない。全体は青と黄色のシンフォニーになるだろう・・・・(書簡526番 高階秀爾訳)」 ゴッホの制作した「花瓶に挿された向日葵をモチーフとした油彩の絵画」という<ひまわり>であれば、7点が制作され、6点が現存しています。 無くなった、1点は、日本にありました。 白樺派美術館の設立を考えていた武者小路実篤の依頼によって1920年に実業家山本顧彌太がスイスから購入しまたものです。 1945年8月6¥6日に第二次世界大戦の芦屋市空襲により焼失してしまいました。 しっかり取り付けられていたので、持ち出せなかったのだそうです。 そして、1987年3月に安田火災海上(現、損保ジャパン東郷青児美術館)が3992万1750ドル(当時のレートで約58億円)で購入した作品が、損保ジャパン東郷青児美術館に飾られています。 この絵は、ゴッホの<ひまわり>最後の作品と言われていましたが、2002年の調査で1888年12月制作ということが判明しました。 ゴーギャンがまだアルルにいる時です。 ゴーギャンが「ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ」という作品を描いていますが、この時ゴッホが描いていたのが、この損保ジャパン東郷青児美術館にある、<ひまわり>だと言われています。 まだまだたくさん学びましたが、またいつか書きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.07 17:25:08
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