参道をあるいて、弁財天(弁才天)へお参りするための階段前に奇妙な石塔があります。
石塔の上には、老人の頭と顔で、身体は蛇がとぐろを巻いています。その下は蓮です。
宇賀神さまです。
弁財天はもとはインドのヒンドゥー教の神様サラスヴァティーです。
このサラスヴァティーとは聖なる(豊かなる)河といった意味で、水の神様とされてきました。 日本でも、三大弁才天とされている、江ノ島・竹生島・厳島をはじめとして、水のそばにまつられていますし、井の頭弁財天も井の頭池の中におまつりされています。
宇賀神は老人の頭を持った白蛇の形をしており、五穀豊穣の神としてまつられます。
井の頭弁財天のご本尊は8本の手を持った八臂像で、頭上に宇賀神を載せ鳥居を冠しているそうす。秘仏で、12年に一度、巳年にご開帳されているようです。
弁財天は、奈良時代に仏教とともに伝来していますが、中世に、比叡山(天台宗)で弁財天と宇賀神という神とを関連づけれて、両者が同一のものであると説かれるようになりました。
弁財(才)天の元のサラスヴァティーは河の神ですが、河の(水の)流れの音が、音楽や豊かに溢れる言葉を連想させることから、音楽をはじめとした芸術や学問全般の神様としての信仰を集めました。
それが日本では、神道古来の水神で農業の神でもあった宇賀神と習合して、五穀豊穣の神様としても崇められ、さらには「才」を「財」に置き換えて、財宝を授ける神様としての信仰がもっぱら盛んになったのでした。
七福神中の紅一点、弁財天は、琵琶を弾く妖艷な姿で現されていますが、宇賀神は老人ですね。それに蛇の身体、奇妙な印象を受けます。
蛇と言えば、井の頭の池には、井の頭白蛇伝説があります。
「江戸の昔(あるいは鎌倉時代初期のこと)、北澤の松原(現・世田谷)に、子宝に恵まれない長者(「さんねんさん」という)夫婦がいた。
そこで井の頭の弁財天に願をかけたところ、時満ちて女の子が生まれた。
首筋に生えた3枚の鱗を怪しみつつも、これを育てるうちに、娘は美しく成長して『弁天様の生まれ変り』と評判になるほどの器量よしとなった。
やがて娘が16を迎え、親子3人打ち揃って、弁天様へお礼参りに出かけたところ、娘は池の前にじっとたたずんだまま動かない。わけを問う両親に向かって、娘は自分が池の主の化身であることを打ち明けた。
『今まで育てて頂いたご恩は、決して忘れません』
娘が池に身を躍らせると、その姿は大きな白蛇に変り、水底へと消えていった。残された夫婦は娘をしのび、宇賀神を石に刻んで供養したという。」
(この宇賀神像は、上の写真とはまた別のもののようです)
宇賀神像の下の石の塔は、石の鳥居建立の碑になっています。「井の頭辧財天石鳥居講中」の名とともに明和4年(1767)の年号があって、寄進者の名前が彫られています。
井の頭弁財天は、神田上水源の水神であり、音楽や芸能の守護神としての弁財天は江戸町人にも盛んに信仰されていたのです。