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あ~あっ、疲れた、という感じです。今日は、エコの視点で、新宿の歌舞伎町から大久保の方面を歩きました。
26名参加で、3班に分かれ、8人と9人のグループわけで歩きました。 出発は、新宿区役所、そこから、すぐ隣の、「四季の路」へ。ここは元都電が走っていたところですが、木を植えて、自然歩道にしています。 その道路の沿ってあるビルの壁には、エアコンの機械がたくさん突き出ています。 これ一つの人間社会の象徴ですね。 ビルのエアコンの中では快適生活があるのでしょう。公共の道路には、その快適さからはき出された空気が注ぎ込まれているのです。 「四季の路」から横に逸れると、そこは、有名な「新宿ゴールデン街」です。 こういうところにはまったく縁がなかったので、実態は知りません。 今も小さな飲み屋が密集している感じです。 せっかく見に行くので、少し調べてみました。 戦後、ここは公認されていない私娼地域だったようです。いわゆる青線地帯。 赤線、青線というのは、どういうことだろうと、思っていたら、<従来の集娼地域を指定地域として地図上に赤鉛筆の線で囲んだことから公認の私娼地域を赤線地域、公認されていないもぐりの私娼地域を青鉛筆の線で囲んだので青線地帯といった>と出ていました。 地図に線を引いた、鉛筆の色だったのですね。 昭和33年の売春防止法施行までは1階が呑むところで、上階で売春、そんな風景だった、と出ています。 この一帯を新宿ゴールデン街と呼ぶようになったのは昭和40年代に入ってかで、狭義には1つの通りの名前です。 作家や芸能人が出入りして、よくこの名前は聞きます。 ここから、歌舞伎町へ向かいました。 昨年閉鎖した、コマ劇場の方へ向かう途中の右路地に、かつて「名曲喫茶 王城」のその上部が見える「東京カラオケ本舗」が見えます。 西洋の城をモチーフにした建物で、ここらを通るとよく目にしたものです。 あいにく名曲に縁がなかったので、一度も入ったことがありません。 考えてみると、新宿は、昔、喫茶店の町でした。 ちょうど朝テレビでやっていた、歌声喫茶「灯」。テレビに映っていましたが、高齢の男女が、一緒に歌を歌っていました。歌は最近の曲を歌うようですね。ロシア民謡は、歌うのでしょうか。あれだけ当時歌われていた、ロシア民謡、聞かなくなりましたが、どこに行ってしまったのでしょう。 そういえば、カチューシャという歌声喫茶もありました。 ジャズ喫茶もありました。 あれもジャス喫茶の一つなのですか、若手の歌手が生で歌う「アシベ」というお店もありました。 そういえば、学生運動が激しいころ闘士が集まった「風月堂」がありました。 すっかり無くなりましたね。 歌舞伎町では、「歌舞伎町」の名前の由来を説明しました。 知っている人もいましたが、少なかったです。そういえば、東京に暮らしているが、歌舞伎町に来たことがないという人もいました。 さて、「歌舞伎町」の名前です。 昭和20年、角筈一丁目北町町会長鈴木喜兵衛という人が中心となって、復興協力会を立ち上げて今も建物だけが残っているコマ劇場のあたり一帯を、銀座と浅草をミックスしたような庶民娯楽センターにして、歌舞伎をはじめとして映画館・演芸場・ダンスホールなどを集中した歓楽街を作ろうと計画しました。 そうした目的で区画整理を行い、昭和23年角筈1丁目の北半と東大久保の一部を併せた町域を、新しい名前で、ということで、鈴木喜兵衛が、都建設局長石川栄耀らと相談して、歌舞伎座建設が目的だからと「歌舞伎町」と命名したというのが、歌舞伎町の名前の由来です。 ですが、みんなも知っているように結局、歌舞伎座は出来ませんでした。 松竹に相談して、新宿で歌舞伎は無理だと断られ、宝塚を作った、小林一三のところへ相談に行き心に説得して、昭和31年に「新宿コマ劇場」が誕生することができました。 そのコマ劇場が閉鎖になって、歌舞伎町はどんな風になっていくのでしょう。 町は、区やボランティアの人が一緒になって、掃除をしているので、格好きれいです。 よく見ると、ガムが落ちてへばりついていたりするのですが。 と、そこから、ハイジア、大久保公園を見て、ホテル街を抜け、稲荷鬼王神社、小泉八雲公園などを見学しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.01 21:42:59
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