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新宿が旬だったのは、学生運動の華やかだったころだと思います。
西口ひろばのフォークソング。喫茶店も、たくさんありました。 花園神社境内の紅テント、1967年、昭和42年です。大阪に少しいて、東京に帰ってきて、一番に行きたいと思ったのが、この紅テントでした。 唐 十郎、李礼仙、麿赤児、四谷シモン、なんだかよく分からなかったですが、興奮して見に行きました。舞台の印象より、酔っぱらったお客と喧嘩している場面を思い出します。多分、何も見ていなかったのですね。時代があったという感じです。 たまたま、当時下宿していた阿佐ヶ谷に唐 十郎さんたちが住んでいて、朝早く歩いているところを見かけたことがあります。そのことだけでも嬉しかったです。 流行っていたのはアングラでしたね。 「天井桟敷」の寺山修司、「早稲田小劇場」の鈴木忠志、「黒テント」の佐藤信と共に「アングラ四天王」と呼ばれ、アングラ演劇の旗手とみなさていました。 芝居には、敷居が高く、見に行けなかったのですが、。でも3人の本は読みました。 新宿には、あやしいアングラ劇場が、あちらこちらにありました。 新宿は若者の町でした。 フーテンも新宿が多かったと思います。 私もフーテンにもあこがれました。そんな勇気はないのに、時代ですね。 映画館もたくさんありました。 元三越の裏の方の、3本たての日本映画館へよく行っていました。 東映の任侠映画、日活のロマンポルノ、とにかく当時、そうした日本映画ばかり見ていました。クサイ映画館で、1人で見ていました。 それからしばらくすると、若者の町は渋谷に移ってしまいます。 新宿って、イメージとしてどんな町なのだろうと思います。 マスコミ的歌舞伎町イメージの新宿でしょうか。 西口、副都心の高層ビル群でしょうか。 神楽坂も新宿区です。でも神楽坂で新宿はイメージしませんね。 新宿駅の乗降客数は世界1です。ウィキペディア(Wikipedia)』を見ると次のようにあります。 <1日平均乗降者数は346万人と世界一(ギネス世界記録認定)多い駅であり、地下道などで接続する西武新宿駅まで含めると364万人以上になり、この数字は横浜市の人口と匹敵する> そんな、スゴイ人が通る新宿、新宿で何が今、旬なのでしょう。 このところ、昔のことばかり見ていたので、歌舞伎町から大久保を歩いていて、そんなことを考えました。 例えば、遠方からお客さんが来た時、新宿だとしたら、どこを案内するでしょう。一緒に町を歩いた人にもと聞いて見ました。 新宿御苑、都庁を中心にした西口、デパートの伊勢丹。そんな感じでした。 なんとなくインパクト弱いですね。 渋谷も、ひところの輝きがありません。 銀座、浅草も、少し古いです。ん、でも銀座は、ブランドの店が次々生まれて、そういう意味では、旬かもしれません。 六本木ヒルズとか丸ビルとか、大きなビルができると、一時話題になりますが、そんなに長くは続きません。 歌舞伎町を案内するほど、歌舞伎町の本物を知らないし、私も、困ります。 そう考えると、東京で、今、旬な町はどこなのでしょう。お台場ですかね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.02 21:39:59
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