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ユダヤが解ると真実が見えてくる

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2012年04月19日
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カテゴリ:ユダヤの基礎
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モーゼス・デ・レオンは、1250年頃スペインの西北部の都市レオンで生まれた。
 彼の1264年頃に、彼は既に優秀な学生であったらしい。彼は最初はマイモニデスの哲学に興味を持った。彼は、そこから神秘主義思想に入り、カバリストとなった。
 さらにアブラフィアの信望者ヨセフ・ギガティラと接触し、影響を受けた。ギガティラは、ここにおいてセフィロトの解釈に、「女性原理」と「男性連理」の二元論的概念を提唱していたのである。
 ゾハールは、このギガティラの思想を一歩進めたものである。というのも、この書では「男性原理」と「女性原理」に、さらに両者を調停する第三の原理を導入しているのである。
 その後、彼は各地を移動したが、1290年頃にはグアダラハラに定住した。その後、彼は家族と共にアビラに移住した。当時、ユダヤ社会で当地に預言者の噂が生じ、それに誘われてのことらしい。
 そして、1305年にヴァラドリッドの領主の館からの帰途に、アレヴァロで客死する。
 彼の残した著書の多くが写本の形で現存するが、印刷されたのは2冊のみである。
 一つは「証の薔薇」で1286年に執筆された。しかし、これは半分しか現存していない。
 もう一つは、「石榴の書」であり、1287年に出版された。こちらは、主にモーゼの十戒について触れられたものであるが、ともに神秘主義色の強いカバラの著書である。
 
 彼の生涯に関する記録は多くはない。また、印刷された著書も2つだけである。
 しかし、なぜ彼が注目を集めるのかというと、彼こそが、かの「ゾハール」の著者の最有力候補に挙げられているからである。
 少なくとも彼は1270年から1280年の間にカスティラ地方のサークルの一員であり、そこで高い地位を得ていたらしい。
 彼の著書にはゾハールについて言及した部分が全く無い。しかし、彼は突然「私の自宅にはシメオン・ベン・ヨハイによって書かれた古代の書がある」と言い出した。
 そして、彼はその書物を周囲の金持ちに高額で販売していた。これこそが「ゾハール」の写本であったと思われる。余談だが、彼は金使いが粗く、これらの金もあっというまに浪費してしまったという。
 もし、彼の家に古い書物が本当に伝わっていたというなら、彼がそれを初期の自著に引用しないというのは不自然ではないか?
 また、彼のほぼ同時代人に、彼こそがゾハールの著者であると書き残している者もいる。
 それは、イサク・ベン・サミュエルという人物である。彼はレオンの死後、学生の時分に、レオン未亡人に「ゾハール」の原典を譲ってほしいと要求した。すると、レオン未亡人は、そんなものは存在しない。それは夫のレオンによって書かれた著書であると答えたという。
 レオンが言うには、「もしゾハールを私の著書だといって発表したら、誰も私の著書には注意を払わないだろう。しかし、シメオン・ベン・ヨハイによって書かれた古代の書といえば、人々は高い価値をそれに見出すだろう」と。
 
 彼はゾハールの原型にあたる「ミドラシュ・ハ・ネラエラム」を1275年から1280年にかけて書いたらしい。少なくとも彼の印刷された著書「石榴の書」には、ゾハール本文の引用は見られないが、「ミドラシュ・ハ・ネラエラム」と重なる部分がある。もし、本当に彼の家に「ゾハール」があるのなら、この著書からの引用がなければおかしいのではないか?
 ゾハールの本文は、おそらく1280年から1286年頃に書かれたらしい。
 彼は1293年までに、多くの草稿を書き上げたが、その内容は「ゾハール」を宣伝するような内容のものが多い。
 少なくとも彼は1290年代初頭から、ゾハールを小出しにしながら、カバリスト達の間にばらまいたらしい。それはあっという間に、カバリスト達の間に広がったのである。
 仮に彼がゾハールの著者でなかったとしても、彼がこの本を喧伝し、広げたのは事実であろう。
 また、彼以外にも便乗して似たような文書を書かれ、それもゾハールの中に紛れ込んだ可能性もある。

 彼はアブラフィアの思想を最初に学んだ。
 アブラフィアは徹底した実践主義であり、瞑想を通じて神に至る道を説いた思想であった。しかし、レオンは、神性の世界の秘密、奥義をそのものを考察すること、叡智による宇宙の奥義に至る道を説く。そして、「旧約聖書」の研究を重視すべきと考えた。
 彼がゾハールを執筆した動機も、こうした思想の喧伝にあったのではないかとも考えられる。






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最終更新日  2012年04月26日 17時32分09秒
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