ゆ~でぃあ郷国

2010/09/11(土)21:38

牽牛子塚古墳の現地見学会

 牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)の現地見学会が11日、12日の両日あります。  久々の大ニュースだったので明日香へ向かいました。  陽射しがきつかったのですが、同じ八角形墳である天武・持統天皇陵前から歩いてみまいた。  飛鳥駅を越え、しばらく歩くと行列ができています。ボランティアガイドさんが最後尾にいてお客さんに話しています。「牽牛子塚」って言いますが、元は御前(おんまえ)って小字名で呼んでいた古墳です。今回の調査で八角形と判明したけれど、朝顔の意味がある牽牛子の呼び名は朝顔の形が八角形っぽいからかも知れませんね・・・・。そんな話をしながら1時間ぐらい待たないといけないかもしれないから見学せずに他へ行きましょうとUターンされました。しかし実際は15分ぐらい待って見学できました。勿体ない事されましたね。  報道で見るよりも石が大きくて驚きました。そして美しい加工にも見とれてしまいます。  以前から宮内庁が管理する高取町の車木ケンノウ古墳とは違って、本当の斉明天皇陵だと言われていましたが、今回の調査で八角形墳であることが分かり、斉明天皇(皇極天皇)が葬られたことがほぼ確定的となった。  断言できないのは状況証拠だけで墓誌が出てないからである。でも、野口王墓古墳(天武・持統天皇合葬陵)や文武天皇の墓とされる中尾山古墳など7世紀の天皇陵は、いずれも八角形とみられ、牽牛子塚が天皇陵であることは確実。間仕切りをして2室にした石槨の構造、間人皇女と同年代の女性とみられる歯などの出土品という状況が、日本書紀に記された斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬に一致。墓誌は出てなくても母子の墓・・・何て言うと怒られるかな(笑)。ま、牽牛子(ケンゴシ)塚だけにケンカ腰で目くじら立てないでね(*^_^*)。  間人皇女と言えば天智天皇の妹。斑鳩の吉田寺へ行ったときに間人皇女の殯の宮跡「清水(しみず)御陵」が在りました。そこから明日香へ移されたのでしょうか?  それにしても石を使った土木工事をした女帝らしい古墳です。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る