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カテゴリ:城陽の歴史
城陽市の自治会組織については、城陽市に引っ越ししてきて賃貸マンションと言うこともあり、入っていないので分からないですが、
近隣の方から、自治会入る時はお金がかかり、大変と聞いていたので、気になっていました。 城陽市では団地で自治会がない地域もあり、高齢化が進んで役員ができない世帯が増えたり、引っ越ししてきた人が自治会に入らないことが増えています。 では以前はどうだったのか気になります。『城陽市民俗調査報告書』によると、各地域事に異なっていたようです。 元々は村全体の寄り合いは「惣寄り合い」と呼ばれ、村の中の小集団として町、組、五人組、近所があったとのこと。 また「観音講」と呼ばれる年齢集団があったり、同信集団としての講である「日待」「伊勢講」「愛宕講」「二月講」等がありました。 全国的に今の自治会は1940年に内務省が「内務省訓令」を出して全国に自治会をつくりはじめ、戦後1947年にGHQが廃止を命じ、1952年頃に自治会の結成が認められるようになったことから、組織されていったので、城陽市でもその頃から自治会が出来ていったとおもわれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.29 19:45:26
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